柔道 道なき道を切り拓く朝比奈沙羅 信じた道を真っ直ぐに突き進め

[ 2021年6月18日 09:30 ]

2018年3月、グランドスラム・デュッセルドルフ大会で優勝し、成田空港に帰国した朝比奈沙羅。スーツの右襟にはラグビーW杯と東海大ラグビー部「SEAGALES」のピンバッジ
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 柔道家、朝比奈沙羅のラグビー愛は本物である。

 コロナで世界が変わる前、何度も秩父宮ラグビー場でその姿を目撃した。その多くは、母校である東海大の試合。試合後の敷地内でラグビー部員たちと談笑し、「沙羅さーん」と声を掛けられるシーンも何度か目にした。授業でラグビーを選択していた縁もあり、木村季由監督とも大の仲良し。柔道の代表合宿では、大好きだというワラビーズのウエアを好んで着用していたが、19年W杯の大会前には、そのワラビーズ戦のチケットが確保できていないと嘆いていたのを思い出す。

 その朝比奈の姿を秩父宮で最後に目撃したのは、東海大が法大に46―15で快勝した19年11月9日だったはずだ。2週間後にはグランドスラム(GS)大阪大会が迫っていた。この大会で同年の世界選手権を制した素根輝に優勝をさらわれれば、東京五輪への道が絶たれる。オフとはいえ、決戦間近のこの時期にラグビー観戦?…との考えは、まさに凡人の思考なのだと思う。

 恐る恐る近づいて声を掛ける。あっ、こんにちは。東海大、勝って良かったですね。調子はどうですか?いつものように声を掛けると、ケガをしている箇所があり、十分に稽古が積めない状態だと明かされた。「それでも、やるしかないので」。ラグビー場ではいつもニコニコしている朝比奈の表情が、一瞬だけ曇った。結果は朝比奈が準々決勝で敗れた一方で、素根は優勝。直後の強化委員会で、年下のライバルは満場一致で東京五輪代表に内定した。

 東海大在学中には柔道部を「卒部」し、学生の身ながら実業団のパーク24の所属となった。東京五輪への道が絶たれる少し前には、独協医大のAO入試に合格し、昨年4月からは栃木県にあるキャンパスで学生生活を送る。コロナ禍や地域性もあり、従来通りの稽古環境を整えるのは困難を極める中、地元スポーツクラブのサポートを得て、畳の上での稽古の不足分をトレーニングで補う。さらに最近では、トランポリンも練習に採り入れているという。何もかもが、従前の柔道界の常識には収まらない規格外。だからこそ“負ければ賊軍”と言うべきか、昨年末の皇后杯を第1シードながら初戦敗退した時には、大きな批判も浴びた。それもこれも、全ては自己責任だし、本人も納得の上での行動だろう。

 五輪開催年に行われた異例の世界選手権で、朝比奈が18年以来、2大会ぶり2度目の優勝を果たした。当時、高校生だった70キロ級の選手に敗れた皇后杯に比べれば体も絞れ、動きも格段に良かった。この半年間の稽古状況は詳細には語られていないが、批判には「結果を出すしかない」と強く念じて臨んだ大会だったという。すでに医学生との二足のわらじを履き、24年パリ五輪は目指さないであろう朝比奈の立場からすれば、世界選手権は「過程」ではなく「目的地」。ならばどんな内容であろうと、結果を残したことは、素直に称えられていい。

 決勝後、膝を負傷した冨田若春をおぶって退場した行動は、本人のSNSによれば、これも一部から批判の声が出ているという。目の前に困っている人がいる。だから助ける。競技者として競技結果や競技力を批判されるのはともかく、人として真っ当な行動を批判されるのは、朝比奈もさぞ辛かろうと思う。そうした声には耳を傾ける必要はないし、信念を曲げる必要はない。

 世界選手権出発前には、独協医大のラグビー部にマネジャー兼選手として入部したことも明かした。柔道選手としての現役中はプレーを自重するとのことだが、いつの日か男子選手に混じって、ぼんぼんとディフェンスをなぎ倒すシーンを見てみたい。

 信じた道を、真っ直ぐに突き進めばいい。柔道でも、ラグビーでも、人生でも。それだけの権利と自由を、2度の世界女王にして、道なき道を切り拓く朝比奈は有している。(記者コラム・阿部 令)

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