スポーツ界と熱中症 過去の悲劇に学ぶ予防策と危機意識の持ち方 暑い夏を乗り切ろう!

[ 2018年7月20日 09:30 ]

気温35度となった都内で水遊びに興じる子供たち(AP)
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 【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】コーリー・ストリンガーはNFLバイキングスの有望なオフェンス・タックルだった。1995年のドラフトで1巡目(全体24番目)に指名された1メートル93、157キロの巨漢選手。しかし彼の人生は2001年8月1日に幕を閉じた。

 その前日、彼はミネソタ州南部のマンケイトーで行われていたチームのサマーキャンプに参加していた。その日はフル装備(重量は約20キロ)でのメニューも消化。しかし突然、呼吸困難を訴えて嘔吐を繰り返した。

 気温33度。湿度も高く体感温度は43度に達していたとされている。

 米中西部を襲った猛暑。フル装備ゆえにヘルメットをかぶり、それが髪の毛からの放熱を阻害したと指摘する医療関係者もいた。そして翌日の早朝、彼は心不全で帰らぬ人となった。享年27。妻と3歳になる息子の目の前での悲劇だった。

 今、日本で騒がれている熱中症。米国のプロスポーツ界でも死者が出ていたことをもう一度、きちんと認識すべきだ。これだけの体力を兼ね備えていても、対処を誤ると猛暑は命を奪ってしまうのだ。ストリンガーの場合、早い段階で体の異状を訴えており、チームの管理責任とヘルメット・メーカーの「危険告知義務違反」がその後問われることになった。

 NBAセルティクスの元スター選手だったレジー・ルイスが27歳で死去したのは1993年7月27日。マサチューセッツ州ウォルサムのブランダイス大学の体育館で練習していた際に心臓発作を引き起こした。のちに心臓に先天的異状があったことが判明するが、これも時期が夏でなければ救われた命だったかもしれない。

 「水は飲むな」「暑いのがなんだ」「根性だせ」「歯を食いしばれ」。昭和の世代でスポーツに携わった人なら一度は鬼のような顔をした監督に言われたことがあるかもしれない。科学的根拠のかけらすらない悪しき指導方法。現在、そんなことを言う指導者は皆無だと信じるが、言葉にはならなくても、漠然とした感覚がどこかに残っていやしないか…。「熱中症で倒れて病院に搬送」というニュースを聞くたびに、遠い昔にあった“負の遺産”が脳裏をよぎる。

 NFLはストリンガーの死後、真夏のキャンプ中における健康と安全に関する指針を策定。「暑さがピークに達する時間帯での練習は避ける」「暑さに順応できる期間を選手に与える」「キャンプの練習場には必ず日陰になるスペースも設ける」「選手に尿の色(淡ければ脱水症状、濃ければ水分不足の可能性)への注意を促す」といった項目を掲げ、「熱中症による脱水症状は放置すればどんどんひどくなる」とコーチ陣を含めてチームのスタッフ全員に危機意識を持たせた。

 おそらくどんな人でも熱中症の予防と対策くらいは知っているはずだが、組織全体が「しっかり見守っていますよ」と動きを見せると反応は違ってくる。現場レベルの意識もおのずと高まってくる。この問題に終止符を打つには、タテ方向とヨコ方向の意思疎通を間断なくかつスムーズに行っていく必要がある。

 1975年(昭和50年)の8月。私の所属していた高校のバスケ部の面々は「気合が足らない」という理由だけで炎天下の午後2時すぎにグラウンドを2時間も走らされた。当時の気象データを調べてみると、最高気温は33度か34度。「昔より暑くなった」と話題になっている最近の状況とさほど変わらない。よくぞ誰も救急車で運ばれなかったと思っている。

 もうこんな時代は終わりにしよう。ストリンガーの死をムダにしてはいけない。米国のスポーツ界と関連する医療機関は「熱中症は完全に予防できる」という意見で一致している。大事なのは「危機意識を持つ」という個々の自覚と、「危機意識を持て」という身近な人の配慮と、「危機意識を理解して尊重せよ」という指導者を含めた第三者への声。スポーツだけでなく、どんな人にも猛暑の際にはそんな三つの意識が周囲で混ざり合っていることを願う。

 7月でこの暑さ。さて8月はどうなるのやら…。考えただけで夏バテしそうだが、しっかりと考えて慎重に行動しよう。

 暑さをきちんと乗り切る“戦術”があるチーム。組織と指導者と選手の評価はこんなところにあることもお忘れなく!

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には7年連続で出場。今年の東京マラソンは4時間39分で完走。

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