あのときの日本代表も、苦しんだ分だけ強くなった

[ 2019年1月30日 11:00 ]

1992年のアジア杯でMVPを獲得した三浦知良
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 【大西純一の真相・深層】チームは苦しんだ分だけ強くなっていく。今回のアジアカップであらためて実感した。

 思い出すのは92年10月〜11月のアジアカップ広島大会。日本が初めてアジアを制したときのことだ。1次リーグ初戦でUAEと0―0で引き分けたのに続いて第2戦も北朝鮮に先制される厳しい展開。後半35分に中山のゴールで追いつき、1―1の引き分けた。最終戦のイラン戦は試合終了間際のカズのゴールで1―0、グループ2位で決勝トーナメントに進出した。そして準決勝の中国戦は再び終了間際に中山が決めて3―2で辛勝、GK松永が退場になって10人で戦う綱渡りの勝利だった。

 決勝も高木のゴールでサウジアラビアに1―0で勝って初優勝。1試合ごとに強くなっていった。当時は参加国が8カ国、1次リーグは中1日、5日間で3試合、準決勝と決勝も中1日という過酷な日程。ターンオーバーもせず、ほぼ同じメンバーで戦った。

 この年の5月に就任したオフト監督は「私はW杯に日本代表を出場させるために監督に就任した」と、目標を掲げた。私たち担当記者は「大風呂敷を広げている」という受け止めだったが、デビュー戦でアルゼンチンを相手に負けはしたがいい試合をしたことで、「本気なんだ」と感じ始めた。

 アイコンタクトやトライアングル、スリーライン、コンパクト、コーチングというキーワードを巧みに使い、近代サッカーを注入。規律を求め、スカウティングの大切さを説いてチームを戦う集団に変えていった。8月のダイナスティカップでは韓国などに勝って優勝。日本代表が強くなってきたことはだれもが感じていた。

 当時日本代表を取材していた私たち記者にも驚きの連続で、試合ごとにチームが成長しくのを実感していたが、それでもアジアカップで優勝できるとは誰も思っていなかった。

 時代も状況もまったく違うが、今大会を見ていると、当時とダブる部分もある。「実戦に勝る練習はない」というが、苦しんだ分だけ、日本は強くなっている。決勝でもさらに強くなった日本代表を見たいものだ。

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