女優の中村メイコさんが死去、89歳 肺塞栓症で昨年12月31日に…12月25日番組収録から6日後

[ 2024年1月7日 19:21 ]

中村メイコさん
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 女優の中村メイコ(なかむら・めいこ、本名神津五月=こうづ・さつき)さんが昨年12月31日に肺塞栓症(はいそくせんしょう)で死去した。89歳。東京都出身。ホリプロが7日に発表した。葬儀はすでに密葬で執り行われ、お別れの会は後日執り行う予定。

 ホリプロは「弊社所属の女優 中村メイコが昨年12月31日、肺塞栓症(はいそくせんしょう)で亡くなったことをお知らせ申し上げます。89歳でした。既に親族での密葬を済ませており、後日、お別れの会を執り行う予定です。最後のお仕事は2023年12月25日の番組収録でした。皆さまにおかれましては、生前のご厚誼を深謝申し上げます。株式会社ホリプロ」と発表。最後の仕事は、先月25日に行った番組収録だった。

 夫で作曲家の神津善行氏は「2歳8ヶ月で映画デビューしてから86年という芸能生活を、生涯現役のまま幕をおろすことになりました。長い時間をこの世界に存在させていいただいたこと、皆様に深く感謝 申し上げます」とコメントを発表した。

 天才子役として2歳から映画やドラマ、ラジオに出演、NHK紅白歌合戦では3年連続で紅組司会を務めるなど幅広く活躍した中村さん。夫は作曲家の神津善行氏で、長女は作家の神津カンナ氏(64)、次女は女優の神津はづき(61)で、その夫が俳優の杉本哲太(58)と芸能一家を築いた。

 芸歴86年を誇り、テレビ本放送の前から活躍した才女が静かに逝った。放送の歴史を知る生き字引の死は芸能界にとっても大きな損失だ。

 22年5月4日に放送されたテレビ朝日系のトーク番組「徹子の部屋」に夫婦で出演し、「朝晩のお酒は欠かさない」と元気なところを見せ、23年2月2日放送の同番組では歌手の森公美子とともに出演するなど元気だった。そして先月25日には番組収録にも参加。これが最後の仕事となった。

 父は作家の中村正常氏で、母は「おチエさんの老青春を生きる」の著者のチエコさん。2歳8カ月だった1937年、父に抱かれた写真が婦人雑誌のグラビアに掲載され、これがP.C.L(現・東宝)のプロデューサーの目に止まって榎本健一主演の「江戸っ子健ちゃん」で映画デビューを飾った。

 芸名は本名の五月を英語「MAY」とシャレて「ナカムラ・メイコ」としたが、37年公開の「南風の丘」から中村メイコと改めた。「ロッパの駄々っ子父ちゃん」「エノケンのワンワン大将」「小島の春」(いずれも40年)と出演を重ねた。

 1940年に開催が予定されていた東京五輪に先立つ実験放送の頃からラジオに登場。5歳で出演したNHKラジオの連続放送劇「ほがらか日記」が人気を呼び、天才子役の名をほしいままにした。

 44年に奈良県に疎開し、終戦後の47年に複数の関西の女学校に合格するが、いずれもPTAが芸能活動に反対して入学に反対。このため、父の正常が自ら家庭教師となって英才教育を施した。49年に東京に戻り、NHKラジオ「ジロリンタン物語」や「お姉さんといっしょ」などに出演。複数の人間の声を自在に使い分ける“七色の声”が話題となり、電波の申し子として超売れっ子タレントとなった。55年にはビクターレコードから「田舎のバス」で歌手デビュー。ボニージャックスとともに関西の製菓会社のCMソングも歌い、江利チエミが歌った「新妻に捧げる歌」では作詞にも挑んだ。

 映画は成瀬巳喜男監督の東宝「くちづけ・第四話・女同士」(55年)や松竹「東京チャキチャキ娘」(56年)などに出演。東宝「御用聞き物語」(57年)は主演俳優として銀幕を彩った。

 黎明期から親しんだ放送では59年から10年続いたテレビ朝日のトーク番組「メイコのごめんあそばせ」やNHK「連想ゲーム」の紅組初代キャプテン、「お笑いオンステージ」、フジテレビ「3時のあなた」の司会など縦横無尽に活躍。NHK「紅白歌合戦」も59年から61年まで3年連続で紅組司会を務めた。

 エノケン、森繁久彌、三木のり平といった日本を代表する喜劇俳優と共演してきたことから自らを「喜劇女優」と呼んだ。美空ひばり、江利チエミとの交遊も有名で、無名時代の川谷拓三が一時期、付き人を務めていたこともある。

 若き日は作家の吉行淳之介に熱を上げたが、片想いで終わり、その後出会った神津と57年に結婚。芸能界きってのおしどり夫婦として知られた。

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2024年1月7日のニュース