梓さん、強気な性格だった 中尾ミエとは取っ組み合い さんまにはシャンパンぶちまけ

[ 2020年2月4日 05:30 ]

梓みちよさん急死

気が強く、スパッとモノを言う性格だった梓みちよさん
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 「こんにちは赤ちゃん」「二人でお酒を」などの大ヒットで知られる歌手の梓みちよ(あずさ・みちよ、本名林美千代=はやし・みちよ)さんが1月29日に亡くなったことが3日、分かった。

 梓さんは宝塚音楽学校の在学中に芸能事務所「渡辺プロダクション」のオーディションに合格して上京。当時を知る関係者は「とにかく可愛かったというのが第一印象。お母さんが福岡の会社で総務部長を務めていた立派な方で、礼儀正しい子に育てられていた」と振り返った。

 秀でた歌唱力と表現力で聴く者を魅了した。天才肌の一面もあり、コンサートや音楽番組の出演時にリハーサルをしないのが流儀。「音が聞こえれば十分」と言ってステージに立つと、一発で完璧に歌い切ったという。

 気が強く、スパッとモノを言う性格。60年代の渡辺プロと言えば、中尾ミエ(73)、伊東ゆかり(72)、園まり(75)の「スパーク三人娘」が人気の時代。特に中尾とはライバル関係で、下宿先で取っ組み合いのけんかをすることもあった。

 その性格が表れたのが、86年に出演したフジ系「さんまのまんま」。司会の明石家さんま(64)の言動に激怒し、シャンパンを5回浴びせた。世間から大バッシングを受けたが、後に謝罪して和解。番組の名場面集でも取り上げられるシーンとなった。

 もてなし上手の尽くすタイプで男性にはモテた。自宅に友人を呼んで飲み会を開くことも多く、音楽関係者は「みんなで麻雀をやってると、自分で材料を買いに行って手料理を振る舞ってくれた。男性が自然と好きになってしまう女性だった」。シンガー・ソングライターの吉田拓郎(73)とも親交があり、吉田作曲の「メランコリー」は76年に大ヒットした。

 71年に俳優の和田浩治さんと結婚したが、1年でスピード離婚。結婚はこの一度だけだが、不倫交際でワイドショーをにぎわしたこともあった。愛犬家でポメラニアンを長く飼っていた。昨年5月にメスのシャイニーちゃんを亡くしたが、「またワンちゃんを飼いたい」と楽しみにしていた。

 ≪天敵と言われたけど寂しい…中尾ミエ≫驚きました。私の天敵と言われていたみちよちゃんですが、いなくなるとやはり寂しいですね。一時期を(渡辺プロダクションの)渡辺晋社長のお宅で一緒に生活していた仲です。ご冥福をお祈り致します。

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