ワイドショーの草分け「小川宏ショー」の名司会 小川宏さん死去

[ 2016年12月6日 05:30 ]

「小川宏ショー」の司会陣。(左から)アシスタントの木元教子、小川宏さん、露木茂アナ
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 フジテレビ「小川宏ショー」の司会を17年間にわたって務め、テレビの朝の顔として親しまれたアナウンサーの小川宏(おがわ・ひろし)さんが11月29日午前11時、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。90歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行った。喪主は妻富佐子(ふさこ)さん。ワイドショーの草分けとして一時代を築き、近年はうつ病を克服した体験をもとに講演活動などに力を注いでいた。

 小川さんの次女で、作詞作曲家・中山大三郎さんの妻の三佐子さん(55)によると、小川さんはここ10年ほど頸椎(けいつい)や前立腺の病気、皮膚病の膿疱性乾癬(のうほうせいかんせん)などで入退院し、手術も受けた。

 10月中旬に体調不良を訴え入院。11月29日午前9時ごろに容体が悪化し、富佐子夫人、三佐子さん、三佐子さんの兄、姉が集まり、「みんないるよ」と声を掛けると、「うん、うん」とうなずき、静かに息を引き取ったという。三佐子さんは本紙の取材に「さみしがり屋だったから、みんながそろったところで、亡くなったのでしょう」と話した。アイスが大好物だったが、亡くなる3日ほど前から「もういらない」と言い、家族を心配させていたという。

 早大卒業後、1949年にNHKに入局。55年からクイズ番組「ジェスチャー」の司会を10年間担当し、人気を集めた。65年にNHKを退局し、同年からフジテレビの朝のワイドショー「小川宏ショー」がスタート。「初恋談義」などのコーナーが高視聴率を得て、ワイドショーの司会としては第一人者と評価された。同番組には、俳優の石原裕次郎さんやプロ野球巨人の長嶋茂雄終身名誉監督(80)ら多くの大物が出演。82年に番組が終了するまで放送回数は4451回に上り、フジテレビ「森田一義アワー 笑っていいとも!」に抜かれるまで、ギネスブックに「人名を冠した番組の最長寿記録」として認定されていた。

 穏やかな人柄と流ちょうなトークが売り物で、番組がさらさらと進行することから「春の小川」の異名を取った。同番組終了後は、「オールスター家族対抗歌合戦」などの司会で活躍した。

 50歳頃から糖尿病を患い、92年には、あと一歩で電車に飛び込む自殺未遂を起こし、うつ病と診断され入院。翌年にはテレビでうつ病を告白し、社会的な理解を進めるきっかけをつくった。家族のサポートもあって克服し、体験談をまとめた「病気は人生の挫折ではない」を出版。各地で精力的に講演活動を行っていた。

 ◆小川 宏(おがわ・ひろし)1926年(大15)4月17日、東京都生まれ。早大卒。NHKでは福島・郡山放送局を皮切りに山形・鶴岡放送局などで勤務した。01年には腸閉塞(へいそく)で手術を受けた。新聞の読者投稿欄に晩年まで文章を寄せ、社会への提言を行っていたほか、自身のキャリアや闘病歴などをつづった著書も多数。映画「人間の証明」(1977年)にワイドショーの司会者として出演。

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