荒木由美子 認知症で変ぼうした義母 あらぬ思い込みで“不倫騒動”に

[ 2016年4月24日 11:30 ]

介護の日々を振り返る荒木由美子

荒木由美子「大人の魅力」(上) 

 かつてアイドル歌手として活躍した荒木由美子(56)は、20年にわたって認知症だった義母の介護を経験した。夜も眠れなかった壮絶な生活に「何度も心が折れそうになりました」と振り返る。「介護離職」「老老介護」など高齢化社会では、多くの人が直面する切実な問題だ。

 これがある日の荒木と義母との会話だ。

 「由美ちゃん、あなた、子供何人いるの?」

 「うん、1人いるよ」

 「何で1人しかいないの。もっと産めばいいのに」

 「子育ては大変なの。おばあちゃん、手伝ってくれる」

 「いいよ、私が面倒みてあげるから」

 認知症が徐々に進行し姑(しゅうとめ)は、自分に孫がいることも忘れてしまった。穏やかな時もあれば激しく家族をののしることもある。恐らくこの時は、自分の息子が歌手の湯原昌幸で彼女がその妻ということも分からなかったのだろう。

 「由美ちゃんが男とどこかへ行ってしまって何日も帰ってこない」と近所のお寿司屋さんを呼び出して騒ぎになったこともあった。宅配便や郵便局の配達があると、「あの人はいつも由美ちゃんに会いに来るのよ」と勝手な妄想をしてしまう。治療のため病院へ付きそうと男性の担当医に「由美ちゃんが先生に会いたくて来たんですよ」と、とっぴなことを話しだすこともあった。

 テレビのワイドショーで芸能人の浮気や不倫のスキャンダルを見て全て湯原のことだと思い込む。そして、「由美ちゃん、面白くないだろうけど昌幸も男なんだから少しは我慢してね」と懇願された。症状はじわりじわりと悪くなっていった。台所にある包丁やハサミなどの刃物類は全部鍵がかかる引き出しにしまい込んだ。

 徘徊(はいかい)が始まった。

 「夜はほとんど寝られませんでした。私がソファに横になってずっと手をつないでましたね。まだ足腰は丈夫でしたから物凄く遠くまで歩いて行っちゃうんですよ。でも本当に優しい母でしたからどんなにつらくても怒ることはできませんでした」

 ◆荒木 由美子(あらき・ゆみこ)1960年(昭35)1月25日生まれ、佐賀県出身の56歳。76年、「第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン」で審査員特別賞を受賞。翌年、「渚のクロス」でデビュー。主演ドラマ「燃えろアタック」で人気に。結婚を機に引退。07年に歌手活動を再開し、現在はタレント業と同時に講演活動も行っている。

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