米朝さん長男・米団治が会見「眠るように、あちらへ逝かれました」

[ 2015年3月20日 13:14 ]

桂米朝さんの思い出を語る桂米団治

 肺炎のため89歳で死去した人間国宝で上方落語家の桂米朝さんの訃報から一夜明けた20日、長男で落語家の桂米団治(56)が大阪市内で、兄弟子の桂ざこば(67)と会見し、「眠るように、あちらへ逝かれました。大往生でした」と語った。

 米団治によると、米朝さんの最近の容態は比較的安定していたが、19日午後4時30分ごろ、入院先の病院から「血圧が下がっている」と連絡があり、出演していた大阪市西成区の寄席小屋「動楽亭」から病院へ。兄弟子のざこば、月亭可朝(77)や親族に連絡。病室に駆けつけた約15人が見守る中、眠るように静かに息を引き取ったという。

 2009年以降、2度の脳梗塞を克服。昨夏、妻絹子さんを亡くしたショックも影響したのか、その直後から入退院を繰り返していた。同11月6日の89歳の誕生日には一時帰宅し、米団治やざこばら一門と写真撮影するなど体調が良好だった時もあれば、同秋と今年1月末の2度危篤となったこともあった。父であり師匠である米朝さんとの最期の別れを覚悟していたのか、米団治は、「私は大往生やったと思う。上方落語を大きくしてくれた師匠で、息子として父に感謝の気持ちでいっぱい」と笑顔を浮かべるなど気丈に振る舞った。

 続けて、存亡の危機にあった上方落語界をけん引し、埋もれた落語の復活、二代目桂枝雀さんら後進の育成に尽力した米朝さんを思い、「米朝の功績は偉大すぎます。ボク1人で背負えるものではありません。だからこそ、多くの弟子を残したのだと思う。1人1人ができることを、やっていきたい」と前を向いた。

 反対に、同席した筆頭弟子のざこばは悲しみをこらえ切れず真は真っ赤となるなど号泣。何度も天を仰ぐなどしながら、「こないに上手に、こないにキレイに亡くなるとは…」と、おえつ交じりに声を振り絞った。

 通夜祭は24日午後6時、葬儀・告別式は25日午前11時から、大阪府吹田市桃山台5の3の10、公益社千里会館大斎場まほろばで営まれる。喪主は米団治が務める。

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