阪神ドラ2・門別啓人 「北のドクターK」は連日100本超の坂道ダッシュでつくられた

[ 2022年11月30日 05:15 ]

阪神新人連載「七人のトラ侍」ドラ2、東海大札幌・門別(1)

中学時代の門別(母・実保さん提供)

 阪神に北海道の高校生が入団するのは実に56年ぶりだった。猛虎の歴史を動かした門別の野球人生は、東海大札幌で味わった“挫折の1カ月”がなければ語れない。

 「気が抜けちゃって練習がおろそかになっていた高校1年の冬、練習に入れない時期があった。その時にずっと朝から練習が終わるまで一人で坂道ダッシュをして…。その期間が、これまでの野球人生の中で一番きつかった」

 1年秋の地区予選から背番号1を託すなど、大脇英徳監督(47)は入部当初から門別の能力を評価。その一方で、プロの世界を目指すには根本的な意識改革の必要性を感じていた。「『一般の生徒とおまえは違うんだよ』と。学校生活を含めて“甘ちゃん”なところがあった。(高校生特有の)好奇心なんでしょうけど、みんなと楽しく過ごしたいと。常に野球に意識を持たせないといけないと思った」。教え子の将来を案じ、見据え、自覚を促すために取った“練習追放”。雪が積もる気候の中、門別は一人室内練習場付近にある約60メートルの坂道を毎日100本以上、ひたすら全速力で走り続ける日々を過ごした。

 「自分はプロに入りたくてこの高校にきたのに、何をやっているんだろうと…いろんなことを考えた。だけど、これを乗り越えたら絶対にプロを目指せると思って、最後まで頑張ろうと思った」

 意識の変わりようを、大脇監督も感じ取っていた。練習復帰の懇願を拒否し続けたが、約1カ月が経過した頃に「『戻ってもいいし、戻らなくても別にどっちでもいいよ』と。それを本人がどう感じるか」と、反骨心をあおる言葉とともに復帰を許可した。明確にプロ入りを目指す道筋を整え、門別は変わった。「(朝から夜まで続いた坂道ダッシュで)下半身も鍛えられましたし、やっぱり乗り越えられたというメンタル的な自信、投球の自信にもつながった」。入学時に140キロだった最速を、2年間で10キロ伸ばして入学時に目標として定めた150キロに到達。3年最初の公式戦となった今年5月の春季札幌支部予選では、3回戦で札幌新陽を相手に20三振を奪って完封勝利を挙げるなど、「北のドクターK」として名を上げ、ドラフト上位指名につなげた。

 大脇監督からは「プロで20年働ける選手になってもらいたい。その頃までプロ野球界に残るには何をしていたらいいか。結果だけ出せばいいわけではない」と期待をかけられた。手厳しい指導で導いてくれた恩師に加えて実はもう1人、門別の野球人生を変えた人物が東海大札幌にいた。 (阪井 日向)

 ◇門別 啓人(もんべつ・けいと)2004年(平16)7月10日生まれ、北海道日高町出身の18歳。富川小1年で富川野球スポーツ少年団で野球を始め、小6でファイターズジュニアに選出。富川中では軟式野球部。東海大札幌では1年秋からベンチ入り。3年夏の南北海道大会は準決勝・知内戦でヤクルト4位指名の坂本拓己と投げ合い敗戦。1メートル83、86キロ。左投げ左打ち。

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