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帝京・前田三夫監督勇退 甲子園通算51勝の名将は名誉監督へ 秋の都大会は金田優哉コーチを監督登録

[ 2021年8月29日 10:20 ]

前田三夫監督
Photo By スポニチ

 甲子園通算51勝を誇る名将、帝京の前田三夫監督(72)が29日、勇退することを明らかにした。28日に秋季東京都大会1次予選に出場するメンバーを都高野連に提出。帝京は金田優哉コーチ(36)を監督とする名簿を提出していた。今後はユニホームこそ着ないが「名誉監督」と立場として、サポートしていく。

 勇退を心に決めたのは今年に入ってからのこと。「22歳で監督になって50年。72歳までやらせてもらった。体は元気だけど、この辺でけじめをつけようと、自分で区切りを付けた」と語った。

 1972年、帝京大卒業と同時に同校の野球部監督に就任。大学時代は公式戦出場経験はなかったが、同校野球部の練習を手伝ってきた縁で高校野球の指導者となった。「最初に“甲子園に行こう”と言ったら、選手たちに笑われた。これでは夢がない、と思って厳しく練習した」。最初40人ほどいた選手はたちまち4人に。当時は強豪サッカー部と同じグラウンドを使っていたが「サッカー部は部員が200人。うちは4人だった」。それがスタートだった。

 そんな弱小校も強じんな練習に耐えるチームを作り上げ、78年センバツで甲子園初出場。80年春は伊東昭光(現ヤクルト編成部長)を擁し、準優勝した。89年夏には吉岡雄二(現富山サンダーバーズ監督)をエース兼4番とし、全国選手権で初優勝。「最後、吉岡が三振を獲って優勝が決まったときは全身に電気が走ってね。信じられなかった」。92年センバツは三沢興一(巨人2軍投手コーチ)を軸に、3度目の全国制覇に導いた。機動力を武器に、打ち勝つ野球が得意だった。

 かつてはスパルタ指導から離脱する部員もいたが、近年は部員1人1人と練習方針を模索するなどコミュニケーションを重視。進路指導も性格を見抜き、適切なアドバイスを送ってきた。今チームもエース候補だった植草翔太(3年)が腰痛を訴えると、大学で野球を続けられるようメンバーから外し、手術を受けさせた。

 今夏の東東京大会は準決勝で甲子園に出場した二松学舎大付に2―4で敗退。それでもノーシードから勝ち上がり、エース秋山を打ち込むナインの姿に「この弱いチームをどこまで引っ張れるがボクには挑戦だった。勝ちきれなかったが、よくやった」と話した。歴代5位の甲子園監督勝利数を誇る指揮官がユニホームを脱いだ。

 主なプロ野球現役OBは中村晃(ソフトバンク)山崎康晃(DeNA)杉谷拳士(日本ハム)ら。

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