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【独占手記】巨人・坂本 “第二の故郷”東北の活力に 復興の手伝い「何でもします」

[ 2021年7月18日 05:30 ]

マイナビオールスターゲーム2021第2戦   全セ3-4全パ ( 2021年7月17日    楽天生命 )

11年、球宴1号を放ち笑顔を見せる坂本
Photo By スポニチ

 高校時代を青森で過ごし、10年前の球宴にも出場した巨人の坂本勇人内野手(32)が、スポニチ本紙に手記を寄せた。東北への感謝、小学校の同級生でもある楽天・田中将への思い、そして金メダルを狙う東京五輪への意気込みも語った。

 震災から10年を迎えた東北、仙台でオールスターが行われることは感慨深いものがありました。復興に向かっている東北の皆さんの活力に少しでもなるように。そんな気持ちでプレーしました。

 2011年の球宴は本当に思い出深い。22歳で4度目の出場でしたが、QVCマリン(現ZOZOマリン)の第2戦で初本塁打を打ちました。08年の初出場から11年の第1戦まで全く打ってなかった(通算15打数2安打)ので本当にうれしかった。ベンチに戻ると普段対戦している監督や選手に出迎えてもらい、喜びもひとしおだったと記憶しています。

 翌日が仙台での第3戦。スタンドには被災された方、復興をお手伝いしている方が招待されていました。地震から約4カ月後で仙台で試合ができたのは、多くの方の支えや思いがあったからこそ。僕自身も開催されることの意義を考え、感じてプレーしました。球場にはたくさんの子供たちもいた。その子供たちが今も野球を続けていてくれれば、うれしいですね。

 その試合のパ・リーグの先発は(楽天の田中)将大でした。この球場では13年に楽天と日本シリーズも行いました。第7戦までもつれて日本一にはなれなかったけど、仙台のファンの楽天に対する思いや温かさには感銘を受けました。将大とは同じ少年野球のチームメート。残念ながら今回は将大は欠場しましたけど、このあとの東京五輪では一緒にプレーできる。縁があると勝手に思っています。

 東北は自分にとって“第二の故郷”です。青森の光星学院(現八戸学院光星)を選んだのは、僕は3人兄弟で母に迷惑を掛けたくなかったから。寮生活が良かったんです。金沢成奉監督(現明秀学園日立監督)からも「ぜひ来てくれ」と言っていただいた。それまでは投手とショート。金沢監督に「野手の方がプロになれる。野手一本でやれ」と言われた。その言葉があったから今がある。実は投手をやりたかった。もし投手をやっていたら今頃メジャーに行っていたかもしれないですね。冗談はさておき、高校時代にあれだけしんどい練習をしたから今がある。野球に打ち込める環境、人間として成長させてくれた青森には感謝しています。

 今年はシーズン途中で右手親指の骨折で離脱もありましたが、特別なオールスターに選出していただき、本当にうれしかったです。これからも復興のお手伝いができるのであれば、何でもします。まずは東京五輪で明るい話題を届けられるように、頑張ってきます。(読売巨人軍内野手)

 ◆坂本 勇人(さかもと・はやと)1988年(昭63)12月14日生まれ、兵庫県伊丹市出身の32歳。光星学院から06年ドラフト1位で入団。今季は5月9日に右手親指を骨折し約1カ月離脱しながらも、前半戦は60試合に出場し、打率・272、11本塁打、23打点。日本代表では13、17年WBC代表、15、19年プレミア12代表。1メートル86、86キロ。右投げ右打ち。

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