【球春ヒストリー(9)】1986年・新湊 高校野球の魅力が詰まった「旋風」列島魅了

[ 2020年3月28日 09:30 ]

享栄を相手に2安打完封の快投をみせた新湊・酒井盛政
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 スター選手はいない公立校。雪国のハンディを乗り越えた初出場。それでも、下馬評の高い私学の強豪を次々と撃破していく。1986年の第58回大会は公立校が4強を独占したが「新湊旋風」は高校野球の魅力をすべて内包していた。

 「この時期にテレビで高校野球を観ると、やはり当時のことを思い出しますね」

 当時のエース酒井盛政氏(51)が遠くに視線を送った。1回戦の相手は超高校級左腕の近藤真一(現真市、中日アマスカウト)を擁する享栄。抽選会で対戦が決まった時、前の席に座っていた相手選手がガッツポーズで喜ぶ姿は今も忘れていない。

 「全国レベルで見たら、まだまだのチームだったけど、あれを見て気合が入りました」

 圧倒的不利と目された一戦は、開始から降る雨が意外なシナリオへ導いていく。「雪の中で練習して、うちは泥んこのグラウンドに慣れていたけど、向こうは投げにくそうだった」。2回、自らの適時三塁打で唯一の得点をたたき出すと、130キロ前後の速球にカーブ、スライダーをコーナーに散らし6回まで無安打投球。バックの好守にも助けられ散発2安打の完封劇で、剛腕に投げ勝った。

 歓喜の甲子園から宿舎へ戻った後、一本の電話が入る。近藤からだった。「オレらに勝ったんだから、次も負けるなよ」――。実力を認められたからこそのエール。その後、中日でのプロ生活を終えた左腕が北信越担当スカウトを務めた縁もあり、酒を酌み交わす関係も築いている。

 2回戦もV候補の拓大紅陵と激突。飯田哲也(元ヤクルト)が主軸に入る強打が看板で甲子園練習で見たスイングの鋭さに、酒井氏も度肝を抜かれたという。試合は6回表を終え0―4。「点差があったので小細工なしでイケイケだった」。その裏、3点を返し、なおも1死満塁から2試合連続決勝打となる左翼線への2点打。6得点のビッグイニングは再び全国を驚かせた。

 「新湊市(当時)から人が消えた」と言われ5万7000人の大観衆を集めた準々決勝・京都西(現京都外大西)戦は延長14回の激闘。18安打を浴びながら1点しか許さない粘りは真骨頂だった。ボークで決勝点を奪う意外な幕切れで、春夏通じ富山県勢初で唯一のベスト4。勲章を振り返る酒井氏の表情は、少し複雑だ。

 「早く僕たちの記録を抜いて決勝に行ってほしい」。後輩に託した“夢”だった。

 ◆酒井 盛政(さかい・しげまさ)1968年(昭43)10月25日生まれ、富山県出身の51歳。新湊では1年春からベンチ入り。2年秋の富山大会3位から北信越大会準優勝し3年春に甲子園出場。同年夏も出場したが初戦で優勝した天理に4―8で敗れた。卒業後は地元・富山の伏木海陸運送に就職し、社会人野球でも右肩の痛みと戦いながら5年間プレーした。

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