「いつか」が来るまでやり切った2人のアスリートがいる

[ 2019年8月17日 09:00 ]

中日・伊東勤ヘッドコーチ
Photo By スポニチ

 【君島圭介のスポーツと人間】中日・伊東勤ヘッドコーチの視線の先、若い捕手が鍛えられている。汗と土が混じり泥となって、試合前なのにユニホームは黒ずんでいる。

 「現役を辞めてからボールを受けようと思ったことは一度もないんだ」

 西武黄金期に扇の要を務めた、言わずと知れた名捕手だ。キャッチングは至高。その技をたまには使いたいと思わないのだろうか。

 「俺は野球をやり切ったから。本当はキャッチボールもしたくない。ましてやプロテクターなんて2度と着けたくないよ」

 やり切った――。1軍公式戦通算2379試合。1試合平均120球とすれば28万5480球だ。その全試合前には、担当コーチが投げるボールを止めようと泥だらけで転がる目の前の若者と同じ鍛錬を続けてきた。「やり切った」という言葉も出るはずだ。

 その話で、一人のボクサーのことが頭に浮かんだ。伊東ヘッドの言葉を伝えるため、久しぶりに電話をしてみた。

 越本隆志氏は、日本人最年長(当時)の35歳と24日でWBC世界フェザー級王者を獲得した。しかも両肩の腱板断裂を抱え、ドアノブも回せない満身創痍の肉体で、その奇跡を現実に変えてみせた。

 今は福岡県福津市でFukuokaボクシングジムを経営し、未来のチャンプを育てている。引退して10年以上、ジムには毎日立つが、越本氏は一度もサンドバッグを叩いていない。

 また打ちたい、というボクサーとしての欲望が、魂を突き動かすことはない。

 「ケガもあるし、どうしようもない。今も打てる体なら、もっと現役を続けていたと思う。やるだけやったから辞めたわけだから」

 今もサンドバッグが叩けるなら、そもそもボクシングを辞めていない。動けない体が「やり切った」証なのだ。

 作家の沢木耕太郎に名著『クレイになれなかった男』(文春文庫)がある。世界王者にもなれる才能と華を持ったボクサー・カシアス内藤が不完全燃焼の試合の後で《たった五〇〇ドルのファイト・マネーで、ブンブンぶっ飛ぶわけにはいかなかったんだよ。命がかかってんだからね》と言い訳をする。いつブンブンぶっ飛ぶの?と問うと、内藤は《いつか、そういう試合ができるとき、いつか……》と答える。

 自分にブレーキをかけながら明確な将来を設計できるほどアスリートが進む道は見通しがいいとは思えない。やり切れていない悔しさ、もっと出来るというもどかしさを積み重ね、這いつくばり、その最後に「やり切った」という出口が待っている。
 伊東勤や越本隆志は本当に幸せなアスリートだ。沢木耕太郎はこう書いている。

 「望み続け、望み続け、しかし“いつか”はやってこない」
 少なくとも彼らの人生にはやってきたのだから。(専門委員)

続きを表示

この記事のフォト

2019年8月17日のニュース