【令和新時代 夏のメモリー】「人の為に」―東海大相模、勝敗より大切な原貢野球の神髄

[ 2019年8月17日 08:30 ]

第101回全国高校野球選手権大会 第10日3回戦   東海大相模4―9中京学院大中京 ( 2019年8月16日    甲子園 )

「原貢野球」を貫く門馬監督(右端)
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 昭和から平成、そして令和へ。魂は、確かに受け継がれていた。悔しい逆転負け。V候補に挙げられた東海大相模は3回戦で姿を消した。でも、選手たちは大きく成長して甲子園を去った。

 「負けたという結果は全て監督の責任。選手に夢舞台、甲子園で思う存分に力を発揮させてやれなかった」。門馬敬治監督はそう振り返るが、甲子園には勝敗を超えて得るものもある。

 今大会前、門馬監督はこう話していた。「時代が変わっても相模は“原貢野球”。それを貫くことは変わらない」。70年に東海大相模を初優勝へ導いた名将・原貢氏(故人)の教え。大型チームでも積極的に足を使っていく「アグレッシブ・ベースボール」で、今夏も初戦で難敵・近江に快勝した。ただ、その本質は別にあるという。

 「人がやるのが野球。人としてしっかりしなければいけない。目標は日本一でも、目的は人間形成なんです」。野球を通じ、社会に出て立派に生きていく人を育てる。それが「原貢野球」だ、と門馬監督は言う。

 この夏。神奈川大会でエース紫藤は背番号1を奪われた。理由は不振ではない。だが、何の説明もない。紫藤は「あいさつとか、人として基本をやり直そう」と考え、姿勢を正した。すると甲子園で再び「1」に。紫藤は帽子に「人の為に」と書き込み、応援してくれる人のため、仲間のために必死に投げた。

 人としての成長。試合には敗れても、東海大相模の選手たちは確かな一歩を踏み出した。(秋村 誠人)

 《長男辰徳と「父子鷹」4季聖地出場》原貢氏は65年夏の甲子園で三池工(福岡)を率いて優勝。三池炭鉱に大フィーバーを巻き起こした。翌66年に東海大相模の監督に就任し、70年夏の甲子園で優勝。長男・辰徳(現巨人監督)が入学した74年夏から「父子鷹」で4季甲子園出場し、75年センバツで準優勝した。77年以降は東海大、東海大相模の監督を務め、96年限りで勇退後は東海大系列校総監督。数多くのプロ野球選手を育て、14年5月に心不全のため他界した。

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