【鹿児島】鹿児島実・杉内俊哉が準完全ノーノー 「松坂世代」が彩った夏

[ 2018年8月3日 08:00 ]

第80回大会1回戦   鹿児島実4―0八戸工大一 ( 1998年8月11日    甲子園 )

98年8月11日、八戸工大一戦でノーヒットノーランを達成した鹿児島実の杉内
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 【スポニチ社員が選ぶわが故郷のベストゲーム】この夏、全国高校野球選手権大会は100回目。ふるさとチームの甲子園での活躍に熱くなった記憶を、北北海道から沖縄まで、今夏の代表校数と同じ56人のスポニチ社員がつづります。

 28人目の打者のハーフライナーが遊撃手のグラブに収まると、甲子園の記者席で鳥肌が立ったのを覚えている。鹿児島実・杉内俊哉のノーヒットノーラン達成。切れのいい直球、縦割れのカーブ、スライダーで16三振を奪った。許した走者は1四球だけの準完全試合だった。

 この年はスポニチ西部版でPL学園元監督の中村順司氏に観戦記をお願いしていたのだが、「素晴らしい瞬間に立ち会わせてもらった」と感激していた。甲子園で春夏通算6度も優勝し、桑田真澄ら多くのスターを育てた名将でも、甲子園でノーヒットノーランを達成した投手は1人もいなかったという。九州勢では87年の佐賀商・新谷博以来、鹿児島代表の投手としては初だった。

 ライバルの存在が左腕を大きくした。鹿児島実は前年の秋、この年の春の県大会で、後に巨人などで活躍した木佐貫洋を擁する川内に敗れた。鹿児島大会決勝で木佐貫に投げ勝って自信をつけ、甲子園で快挙をやってのけた。

 ただ、甲子園ではもっと強力な好敵手がいた。2回戦は松坂大輔が君臨する横浜と対戦。杉内は8回にその松坂から2ランを浴びるなど、8回6失点で甲子園を去った。

 杉内とはダイエー担当としても取材する機会に恵まれた。ルーキーイヤーの02年4月1日のロッテ戦。プロ初登板初先発で初勝利を収めた際、前夜に松坂から「おまえなら大丈夫だよ」と励まされたと聞いた。あの日の投げ合いから友情が生まれ、2人はプロでも3度投げ合っている。

 「松坂世代」が彩った20年前の甲子園。記念の100回大会でもライバル物語が生まれ、あの夏よりも盛り上がることを期待している。

 ◆森 寛一(西部総局編集部) 春は96年鹿児島実、99、08年沖縄尚学、09年清峰、夏は07年佐賀北で優勝原稿を書かせてもらったのが、わが宝。

 <鹿児島データ>

夏の出場 66回(通算66勝66敗)

最高成績 準優勝1回(樟南=1994年)

最多出場 樟南(19)

最多勝利 樟南(24)

出場経験 11校、うち未勝利3校

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