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キューバ選手はエリート中のエリート“金の卵”のみ専門学校入学

[ 2014年5月24日 11:07 ]

17日の広島戦で来日1号となる2ランを放ったセペダ

 巨人のフレデリク・セペダに続き、DeNAに入団が決まったユリエスキ・グリエルと、キューバ代表の主軸選手が日本にやってくることが大きな話題を呼んでいる。キューバ政府が公認して、自国のトップ選手を他国のプロリーグに送り出すこの事象は、まさに「事件」のような話だ。さらに今後は、他球団も選手獲得に動くことが予想される今だからこそ、今回は2人を生み出したキューバの野球について記してみたい。

◎キューバ野球の歴史

 キューバで野球が始まったのはいつ頃か。記録によると初めての公式戦は1874(明治7)年、マタンサスという地域にある「palmar de junco」球場で、地元チームとハバナのチームが戦ったとある。日本では1871(明治4)年、アメリカ人のホーレス・ウィルソンが日本で初めて野球を教えたと言われているが、キューバも日本も、ほぼ同じ時期に始まったようだ。それまではキューバに入国するアメリカの船員たちが、港町で現地の人々に野球のルールを教えて一緒に遊んでいたという記録もある。また米国へ渡っていたキューバの若者たちも、国へ戻った際には野球を広めたそうだ。

 野球が本格的に発展したのは、1878(明治11)年から「リーガ・クバーナ・デ・ベイスボル」とよばれる国内リーグがスタートしてから。当時のキューバはスペインの植民地であり、アメリカの助けを借りて、長きに渡る独立闘争を繰り返していた。その混沌としたなかでも国内リーグは継続し、なんと83年間も続いたという。

◎キューバ革命を経て

 その後、スペインから独立を果たしたキューバだったが、今度はアメリカへの反発が強まり、1959(昭和34)年のキューバ革命に発展した。そのキューバ革命の2年後の1962(昭和36)年1月14日に、それまで存在していた国内リーグに代わり、新たに「セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル」とよばれる国内リーグがスタート。食糧不足など、革命直後の厳しい状況のなか、首都・ラテンアメリカ球場で開会式が行われた。当時の権力者、フィデル・カストロは「この新しい国内リーグは、今までの奴隷の野球を打ち負かした自由の野球だ」と挨拶。この名演説は今でも語り草になっており、続く始球式でカストロは見事、二塁手の頭上を越えるライト前ヒットを放ったそうだ。

 この大の野球好きであったカストロの影響もあり、キューバでは野球熱が高くなったのはご存じの通り。野球はキューバの国技として国民から長年愛され、発展してきた。どのスポーツよりも競技人口やファンも多く、老若を問わず国中で試合が行われている。ほとんどの職場に硬式やソフトボールのグラブが置いてあるといい、男の子は物心ついた頃から、ボールを握ってキャッチボールを経験するそうだ。

◎エリートたちの戦い

 キューバは国威高揚のため、そして国民が自信と誇りを持てるように国をあげてスポーツを振興している。スポーツ選手も国家公務員で、一般国民と比べると、高待遇であることも特徴的だ。その中でも野球には特に力を入れており、指導者の育成や施設の拡充を行い、さらに世界大会などで活躍した選手には、さまざまな特典供与を行っている。

 特徴的なのは、その育成システムだろう。日本のように学校には野球部は存在せず、前出のキューバ革命後に創立されたスポーツ選手養成専門学校で、文字どおり野球選手が育成される。この専門学校に入学する課程もまさにサバイバル。小学校を終える12歳前後の時点で将来性ありと判断された子どもたちだけが、この専門学校に入学できるのだ。

 子どもの頃から厳しい競争を経て、国内リーグでも大活躍し、さらに五輪を始めとした国際試合でも結果を残してきた巨人のセペダやDeNAのグリエルは、エリート中のエリート。特にグリエルは17歳で国内リーグデビューを飾るなど、キューバの野球少年たちにとっても憧れの存在でもある。キューバの野球エリートは、日本プロ野球にフィットできるか? いまから非常に楽しみだ。(『週刊野球太郎』編集部)

 ▼『週刊野球太郎』(http:/yakyutaro.jp/)とは イマジニア株式会社ナックルボールスタジアムが配信するスマートフォンマガジン(auスマートパス、docomo SPモード、Yahoo!プレミアムで配信中)。現在、さまざまな「逆境」に挑む男たちの生き様について特集を組んでいる。DeNAは個別に大特集! 母体となるのは雑誌『野球太郎』。5月26日に『中学野球太郎 Vol.4』が発売される。投げて打っての大谷翔平(日本ハム)が表紙だ。

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