三村氏 早すぎる死を惜しむ声「残念」「寂しいよ」

[ 2009年11月3日 17:13 ]

10月29日ドラフト会議に出席し関係者にあいさつする楽天・三村編成部長(左)

61歳の若さで…元広島監督の三村氏が死去

急逝の三村氏「メークドラマ」引き立て役に…

 プロ野球広島の内野手として1975年に初のリーグ優勝、79、80年の日本一に貢献し、広島の監督も5年間務めた三村敏之氏が61歳で死去した。現役時代に一緒に戦った山本浩二氏ら、球界からは突然の死を悼む声が相次いだ。

 ▼楽天・米田純球団代表の話 きのう球団事務所にいらしたばかり。コーチ会議に参加したいとのことだったが、体調が悪そうだったのでお帰りいただいた。チームのことを思い、尽力していただいたので非常に残念。ご冥福をお祈りします。

 ▼楽天・島田亨オーナー兼球団社長の話 偉大な野球人を失ったことは、大きな悲しみです。これからさらに力をお借りしなければならないと思っていただけに、本当に残念でなりません。

 ▼広島・松田元オーナーの話 びっくりしており、信じられません。選手としてもそうですし、監督、コーチとしても長い年月、球団を支えていただいた。大変感謝しておりますし、残念です。

 ▼山本浩二・元広島監督の話 ドラフトの時にテレビに映っていたから元気なんだと思っていた。年は二つ違うが、いいライバルでもあったし、お互いがお互いの気持ちを分かり合っている仲間だった。早すぎるよ。残念だし、寂しいよ。

 ▼元広島・江夏豊氏の話 実に残念だ。現役時代は地味だったが、記憶に残る選手だった。彼からいろいろ学ばせてもらった。お互いに現役選手としては、いい人生を送らせてもらった。

 ▼元広島・衣笠祥雄氏の話 1975年の初優勝メンバーが亡くなるのは初めてではないか。三村は野球センスが抜群だった。少し体力的に足りない部分があったが、徐々に克服した。彼が一生懸命頑張ってくれたから何回も優勝できた。

 ▼達川光男・元広島監督の話 陰で努力をする人だった。監督としても5年間で4度のAクラス。巨人に11・5ゲーム差を逆転された時も、逆に言えば巨人の独走を許さなかったと言える。今年の楽天躍進の裏には三村さんの功績があったと思う。

 ▼野村謙二郎・広島監督の話 訃報を聞いて、何とも言えない気持ちになった。ドラフト会場で久々に会い、第一声が「やっとおまえが監督をやるようになったか」だった。非常に残念でつらいです。

 ▼ソフトバンク・王貞治会長の話 びっくりした。残念だ。もっと野球界のために頑張ってほしかった。

 ▼巨人・伊原春樹ヘッドコーチの話 同郷の同い年で、中学、高校と決勝であいつのチームに負けた。この前、電話した時は大丈夫だと言っていたんだけど。残念です。

 ▼巨人・西山秀二バッテリーコーチの話 急な話で驚いている。すごく合理的な考えをする人で、若いころは反発心もあったが、自分が指導者になって、三村さんはすごくいいことを言っていたんだと初めてわかった。

 ▼巨人・木村拓也内野手の話 すごくお世話になった。僕がバットを短く持つようになったのも、三村さんのアドバイス。まだ1軍と2軍を行き来しているころに、短く持っても芯に当たれば飛ぶんだよと言ってもらった。

 ▼元広島・大下剛史氏の話 若い。病気に負けちゃいかんと言っていたのに。四つ下で、小さいころから草野球をやった仲。幼稚園、小学校、中学校、高校、みんな後輩で弟のようだった。広島で1、2番を組んで初優勝した。一人で逝ってしまった。考えられない。

 ▼日本ハム・梨田昌孝監督の話 びっくり。この前、ドラフト会議の時に会ったばかりだし、そんな体調が悪いようには見えなかった。

 ▼阪神・金本知憲外野手の話 突然のことなので、実感がわきません。プロ野球の基本のすべてを教え込んでいただいて、私にとって生みの親と呼んでもいい。本当によく鍛えてくれた恩人でもあります。

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2009年11月3日のニュース