【あの甲子園球児は今(6)興南・我如古盛次】「悪い見本」に奮起…営業の仕事にも生きる“諦めない心”

[ 2022年8月10日 08:00 ]

<報徳学園・興南>7回1死二塁、右中間に同点の適時三塁打を放つ興南・我如古盛次
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 2010年。史上6校目の春夏連覇を成し遂げたのは、興南(沖縄)だった。その前年。主将になった我如古盛次は、新チーム始動日の練習で我喜屋優監督から「振ってみろ」と言われ、バットを手にした。「引っ張りにいくから凡打、フライになったりする。これが一番ダメなスイングだ」と、みんなの前で「悪い見本」にされた。

 「悔しかったですね。“絶対に監督を見返してやる”と思って、練習に打ち込みました」と振り返る。打撃練習では、とにかく右打ちを繰り返した。主将として、3番打者として、チームの「いい見本」になるために、バットを振った。

 10年選抜では1回戦の関西戦の第4打席に、右中間を破るタイムリー三塁打など、2回戦の智弁和歌山戦にかけて、大会タイ記録となる8打数連続安打を放った。8本中、引っ張ったヒットは2本だけ。練習通りに、逆方向を意識した結果だった。決勝までの5試合、全てで安打を放ち、同じく大会タイ記録の13安打をマークした。

 「一番、印象に残っている試合」は、夏の準決勝、報徳学園戦だ。2回までにエース島袋洋奨が打ち込まれ0―5。「始まったばかりだったし、1点ずつ返していけば何とかなるかなと思った」と焦りはなかった。

 5回に3点、6回に1点を返し、1点差。7回1死二塁の場面で打席が回って来た。打球は右中間を破る同点三塁打。緊迫した場面でも、右打ちの練習が実った。チームは6―5で逆転勝ち。東海大相模との決勝は13―1で大勝し、指笛が鳴るスタンドに向け「沖縄県民で勝ち取った優勝」と感謝した。

 連覇を果たした春夏計11試合で、1点差試合は報徳学園戦だけだった。その試合、我如古は第2打席から4打席連続安打を放っている。固め打ちは、急なひらめきから生まれた。「2打席目から構えを変えたんです。半歩くらい、スタンスを広くしたらボールがよく見えるようになったんです」。どうして変えたのか、今でも思い出せない。それほど不思議な体験だった。

 卒業後は立大、東京ガスでプレーし、18年に引退した。集合住宅向けの営業を始め、今年4月からは新築戸建て向けの営業に奮闘中だ。「諦めずにやれば何でもできる。それを野球から教わりました」と、甲子園での経験は、仕事にも生かされている。

 今夏は4年ぶりに母校・興南が甲子園に出場した。初戦で先制打を放ったのは自身と同じ、3番打者のキャプテンだった。「今思うと、春夏連覇したんだなと。あらためて凄いことをしたんだなと思います」。後輩たちを応援しながら、12年前の記憶がよみがえった。=敬称略=(川島 毅洋)

 ◇我如古 盛次(がねこ・もりつぐ)1992年(平4)7月6日生まれ、沖縄名護市出身の30歳。興南で10年に史上6校目の甲子園春夏連覇。春は打率・565、夏は同・480を記録した。立大では1年春から東京六大学リーグ戦に出場。通算68試合で打率・241、2本塁打22打点。卒業後は東京ガスで野球を続け、18年に引退した。

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