伝説の“ビッグ・マック”マッコビー氏が死去 スプラッシュ弾の入り江呼び名に

[ 2018年11月1日 11:21 ]

80歳で亡くなったウィリー・マッコビー氏(AP)
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 大リーグ元ジャイアンツのスラッガーだったウィリー・マッコビー氏が10月31日に死去。80歳だった。球団側が公表したもので、死因は明らかにされていないが「闘病生活を終えての穏やかな最期だった」とされている。

 マッコビー氏は1959年7月30日にジャイアンツでメジャー・デビューを果たし、52試合の出場ながら打率・354、13本塁打をマークして新人王に輝いた。ジャイアンツでの19シーズンを含め、メジャーでは22シーズン在籍して2588試合に出場。通算打率は・270、本塁打は歴代21位に並ぶ521本だった。

 アラバマ州出身で1メートル93の左打者。ウィリー・メイズと並ぶ“MM砲”として一世を風靡し、本塁打王に3回(1963、1968、1969年)輝き、1969年にはナ・リーグのシーズンMVPに輝いた。球宴には6回出場。「ビッグ・マック」や「ストレッチ」というニックネームで絶大な人気を誇り、1986年に殿堂入りを果たした。背番号44はジャイアンツの永久欠番。現役を離れてからもジャイアンツとは深い関係にあり、球団の顧問も務めていた。

 1966年9月16日、当時のジャイアンツの本拠地だった「キャンドルスティック・パーク」で放った500フィート(152メートル)の特大弾は同球場での最長飛距離。ジャイアンツはマッコビーの規格外だった長打力を称え、現在の本拠地「AT&Tパーク(2000年〜)」に移ったとき、右翼場外にある「チャイナ海盆(BASIN)」を「マッコビー・コーブ(入り江)」と呼び名を変えた。その後、バリー・ボンズがこの入り江に“スプラッシュ弾”を連発。マッコビー・コーブには記念ボールをキャッチしようと待ち構えるファンを乗せたボートがひしめきあっていた。

 マッコビー氏は1964年に結婚し、娘を1人もうけたが66年に離婚。今年の8月1日に長年交際していたエステラ・ベハールさんと球場で結婚式を挙げていた。今季の最終戦も球場に姿を見せたが、脚が不自由で車椅子に乗っての試合観戦。健康状態は悪化しており、ついに帰らぬ人となった。

 エステラ夫人は「彼は私にとって夫であり親友でした。すべての日々が思い出されます。彼なしの人生はこれまでとは同じではありません」とコメント。なおジャイアンツ側では追悼セレモニーを行うとしている。

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