阪神と9年前のオリックスに共通するお家騒動…その先に待っているのは?

[ 2018年11月1日 10:00 ]

監督就任会見に臨む阪神・矢野監督(撮影・北條 貴史)
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 きょうから11月。阪神担当記者にとって、10月はまさに激動と言える1カ月だった。8日に17年ぶりの最下位が確定すると、11日には、すでに来季続投が確定していた金本知憲監督の電撃退任が発表された。あれからまだ3週間しか経過していない。だが今は、すべてが遠い過去の出来事のように感じている。

 球団内でも1人の幹部を除いて、誰も知らなかった電鉄本社主導による事実上の金本監督解任劇。その裏側を取材する中で「歴史は繰り返される」という言葉を、痛感した。9年前にも、今回の阪神に似た「お家騒動」を取材したことを思い出したからだ。

 オリックス担当だった2009年。前年2位のチームはローズ、カブレラ、フェルナンデス、ラロッカと外国人選手4人を並べた強力打線を武器に、4月は首位に1ゲーム差の3位に付けた。だが4月下旬にカブレラ、5月上旬にローズが故障離脱。投手陣も先発ローテの柱として期待した平野佳寿が逆流性食道炎を発症し、前年15勝を挙げた小松聖も不調に陥いるなど、投打に狂いが生じた。そして最下位が定位置となって迎えたシーズン最終盤の9月。オリックス本社主導による、大粛正が断行された。

 その発端は、今回の阪神と同様、監督問題だった。成績不振により、すでに8月に入った頃から大石大二郎監督の去就問題が取りざたされ始めていた。大石続投か新監督招へいか――。当時、編成面の責任者は中村勝広球団本部長。その舵取り役を担っていた。編成トップは、実質就任1年目で故障者続出の不運もあった大石監督の続投を基本線としていた。その一方、並行して球団OBの監督候補をリストアップしており、有事にも備えていた。だが、その球団方針と本社の思惑との間には、ズレがあった。

 そのズレに、球団の実権を握る好機を見いだした人物がいた。中村本部長が全幅の信頼を置いていた球団幹部だ。実は、その人物は本社首脳とつながっていた。中村本部長の送迎の運転役を務めていたフロントマンにも、息が掛けられていた。その言動は、すべて球団幹部と本社側に筒抜けとなった。編成トップを「裸の王様」とした球団幹部は本社首脳の意向を汲み、球団の動きとは別に暗躍。中村本部長の知らないところで、前阪神監督・岡田彰布氏の招へいに動いていた。そして次期監督の就任受諾を取り付け、本社の承認も得ると、球団内の粛正に取りかかった。

 対象は9月30日に退任通告を受けた大石監督だけに、とどまらなかった。前日29日に当時の球団社長の退任が発表され、30日には中村本部長の退任も発表された。わずか2日間で球団社長、球団本部長、監督というフロント、チームのトップ3人が一気に退任となる事態にまで発展したのだった。

 あれから9年が経過した。すでに当時の関係者は全員、球団を去っている。あの「お家騒動」をへて、オリックスは変わっただろうか。私もあの年を最後に担当を外れたため、今の球団の内情は知るよしもない。ただ14年の2位を除いて、8シーズンでBクラスに甘んじていることは、まぎれもない事実だ。

 チームの根本的強化は、首のすげ替えだけでは、なしえない。現場、球団、そして親会社が同じ方向を向き、いかに長期的視野に立った態勢作りに取り組めるかが重要だ。そのためには、どれだけ周囲からの風当たりが強くても、重圧が掛かっても、定めた方針を貫き通す意志の強さが必要となる。先般、9年前のオリックスに似た「お家騒動」を繰り広げた阪神。その行く末に、一抹の不安を抱かざるをえない。(記者コラム・惟任 貴信)

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