放駒理事長「驚いた」 稀勢の里、相撲で「恩返ししたい」

[ 2011年11月7日 20:42 ]

鳴戸親方急死

 【角界関係者悲しみの声】

 ▼放駒理事長(元大関魁傑)の話 驚いた。(鳴戸親方は)厳しい師匠だった。(大関とりの稀勢の里関は)相当ショックがあると思うけど頑張ってもらいたい。協会としては、力士がしっかり相撲を取れるような環境をつくらないといけない。

 ▼稀勢の里関の話 昨夜、病院に駆けつけたけど意識がない状態だった。残念です。早く起きて、と思った。何とか場所に向けて調整していきたい。指導してくださったことを思い出して、一生懸命やって恩返ししたい。

 ▼鳴戸部屋付きの西岩親方(元幕内隆の鶴)の話 今は気が動転して、何が何だか(分からない)。親方は弱音を吐く方ではないので、自分の体にむち打って指導されていたのだと思う。稀勢の里が大関とりだし、ほかの力士も含め、部屋一丸となって頑張っていく。

 ▼同期入門の間垣親方(元横綱2代目若乃花)の話 びっくりしたとしか言えない。とにかく根性があった。いい弟子に恵まれて、これからというときだった。顔を見て、おまえ何してるんだ、早く起きろと言った。

 ▼同じ二子山部屋に所属した松ケ根親方(元大関若嶋津)の話 急の急で、本当にびっくりです。稽古に対していつも厳しい方だった。先代の(元横綱初代若乃花の)二子山さんの教えを守り、立派な力士を育てられた。

 ▼鳴戸親方の弟子で元関脇隆乃若の尾崎勇記氏の話 本当に厳しい師匠だったが、厳しさの裏には弟子を強くしたいという熱意を感じた。断髪式の直後に「よく頑張ったな」と褒めてくれたことが今も忘れられない。

 ▼北の湖親方(元横綱)の話 苦労して横綱になった人だった。とにかく腕力が強く、筋肉が盛り上がっていた姿が印象深い。稀勢の里に大関の声が掛かろうという時期が訪れただけに、本人は無念だろう。

 ▼九重親方(元横綱千代の富士)の話 現役時代は病気を克服し、体調管理に努めて横綱へ上り詰めた。おしん横綱の頑張りだった。稀勢の里はつらいだろうが、大関昇進という夢に向かって頑張ることが供養になる。

 ▼鹿内博青森市長の話 ただただ驚いている。親方は青森市浪岡女鹿沢の出身で、旧浪岡町時代の1982年には浪岡町表彰を受賞した。病を克服しながら横綱として活躍し、引退後は後進の育成に努められた。早すぎるご逝去は誠に残念だ。

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2011年11月7日のニュース