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【コラム】金子達仁

辛勝の肯定は世界への道を自ら閉ざす

[ 2019年1月28日 15:50 ]

日本代表のベトナム戦勝利を報じるUAEの現地紙
Photo By スポニチ

 良くなった。サウジアラビア戦に比べれば格段に良くなった。どれぐらい良くなったか。そう……10倍ぐらいは良くなった。

 100点満点で2点か3点だったサウジアラビア戦に比べれば。

 辛すぎる、と感じられた方には、逆にこちらからお伺いしたい。

 「ならばあなたは、昨年のウルグアイ戦に何点をつけるのですか?」

 わたしは、あの試合に80点プラスアルファをつける。あれは、日本代表にとっての最高到達点の一つだった。さらなる高みを目指すことだってできる、と信じるからこその80点台で、本音をいえば90点以上をつけたって良かった。

 そんな試合と、いくら若くて勢いに乗っているとはいえ、FIFAランキング100位の相手にPKによる1点しか奪えなかった試合を、果たして同列に論じていいものなのか。ウルグアイ戦に近い点数を与え、ウルグアイ戦と変わらない賛辞を贈ることが、日本のためになるのだろうか。

 どれほど実績のある素晴らしい監督であっても、駒がそろわなければどうしようもないことは中国を見ていればわかる。日本には駒がいる。まだ国際的な名声こそないが、監督も優秀だとわたしは信じている。それでも日本が素晴らしいチームになりえないとしたら、これはもう、間違いなく周囲の問題である。

 つまり、ダメなものをダメといわず、問題を直視しようとしない周囲の問題である。「ベトナムは難しい相手だった」と持ち上げることで、自分たちの不出来から目をそらそうとするメディアやファンの問題である。

 想像していただきたい。もしウルグアイがベトナムとこんな試合をやってしまったら。ファンやメディアはそれでも称賛を贈るかどうか、を。

 賭けてもいい。セレステたちは袋叩きにされる。カナリアだろうが無敵艦隊だろうが、世界の強豪と言われる国々は、勝ってもなお相手と内容次第では厳しい批判を浴びる。そして、その厳しさが、チームをさらなる高みへと導いていく。

 あっぷあっぷで勝ったベトナム戦を肯定することは、だから、世界への道を自ら閉ざすことに等しい。

 ただ、まだ20点か30点の出来とはいえ、オマーン戦の後半から下降の一途だったチーム状態がどうやら底を打ったのも事実。特に後半途中に大迫が入ってからは、サビてガジガジになっていた歯車に油がさされた感があった。柴崎、乾に復調の気配が見えてきたこと、南野、堂安が前を向いてプレーする機会が増えてきたことなどは、イラン戦に向けての明るい材料といえる。

 一方で、依然として気になるのは選手たちが覚えてしまった「蹴る味」である。ボールを失うことに対する禁忌の意識が、いまの日本はずいぶんと鈍くなってしまっている。ボールを保持することは、攻撃の手段であると同時に、最良の守備の手段でもあるのだが――。

 中国戦を見る限り、イランは抜け目なくはあるものの、ウルグアイを倒した時の日本を圧倒できる力はない。問題は、月曜日の日本が、どこまであの時のサッカーに近づけているか、である。(金子達仁氏=スポーツライター)

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