【コラム】金子達仁

フランスとベルギーの差は「勝った経験の有無」

[ 2018年7月13日 06:00 ]

決勝進出を決めて喜ぶフランス代表MFポグバ
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 カウンター・アタックという言葉からイメージされるスタイルが、わたしの中で崩れ始めている。

 反撃。撃たれてからの反攻。逆襲。襲われてからの攻撃。つまり、まずは相手ありき、相手の攻撃ありきで、仕掛ける側は劣勢か、力の劣る場合が多いのが、従来のカウンター・アタックだった。どこか守備的で、アウトサイダー的なスタイル。王道にたどり着けない者が、やむをえず選択する戦術。それが、わたしの中でのカウンター・アタックだった。

 もちろん、近年では敵陣深くでボールを奪うことに主眼を置く、いわゆるショート・カウンターを戦術の軸に据えるチームも増えているが、それも、そもそもはボールを保持するチームへの対抗策だった。

 だから、素晴らしく新鮮だった。フランス対ベルギー。ポゼッション対ポゼッションでありながら、カウンター対カウンターでもあったからだ。

 ベルギーがフランスのボール保持者に襲いかかり、どうやら日本戦で完全にコツをつかんだらしいカウンターを発動させようとすると、その芽を摘むべく奪われたフランスが襲いかかる。その様は、74年のオランダが世界に衝撃を与えたボール狩りにも似ていた。あるいは、あたかもバスケットボールのような、というべきか。

 ヘビースモーカーでもあったクライフは、選手が走りすぎることに対して否定的だった。彼の右腕だったレシャックは、横浜Fを指導していたとき、選手たちに「そんなに走って方程式が解けるのか」と諭したという。人間は疲れるがボールは疲れない、というのが、わたしを含めたクライフ信奉者の哲学だった。

 だが、21世紀のフットボールは、疲れないボールを存分に動かしつつ、人間も強烈なスプリントを繰り返すようになった。人間はボールより速く走ることはできないが、しかし、足の速さが大きな武器になることも明らかになった。相手から奪ったボールには略奪者が群がるようになり、かつてほど安全には敵陣に運べなくなった。

 この準決勝第1試合は、そんなサッカー界の現状の見本市でもあった。

 決勝点がセットプレーから生まれたことを考えれば、フランスとベルギー、両者の間に力の差はなかった。勝敗を分けたのは……勝った経験の有無、ということになるのかもしれない。

 たった1回ではあるものの、フランスはW杯で優勝した経験がある。そして、プラティニ時代に2度頂点を逃した彼らは、いわゆる「ウィナーズ・クラブ」のメンバーと、そうでない者の間に、越えそうで越えられない不思議な壁があることを知っている。その存在を知り、ついに乗り越えた国だけが持ち得る力が、ギリギリのところでベルギーを抑えきったように思えてならない。

 事実上の決勝戦と言われた試合を勝ち抜いたことで、フランスは2度目の頂点に大きく近づいた。もし決勝の相手がクロアチアになった場合は特に。W杯優勝経験のない国が、決勝で優勝経験のある国を倒した例は、地元開催だったイングランドとフランス以外、皆無だからである。(金子達仁氏=スポーツライター)

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