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【コラム】金子達仁

日本を覆う「アンチ・ドリブル」の未来は?

[ 2018年2月5日 06:00 ]

 人によって違いはあるだろうが、わたしの場合、オフェンシブなポジションの選手を見る最初のポイントはドリブル力だった。それはたぶん、86年のメキシコシティーで金網越しに見た、マラドーナの5人抜きが大きく影響している。

 ペレにせよクライフにせよ、それから本来はディフェンシブな選手のベッケンバウアーにせよ、世界的なスーパースターと呼ばれる選手は例外なく「伝説的なドリブル」を歴史に刻んでいる。ドリブルには選手の才能が現れる。長い間、わたしはそう信じてきた。

 それだけに、最近は少々戸惑っている。

 東京が大雪に覆われた先週、兵庫の名門・滝川二の練習を覗(のぞ)きに行ってきた。監督を務める松岡徹さんは、高校3年の時の総体で、前園や城などを擁する鹿児島実相手に、自陣からごぼう抜きのドリブルシュートを決めた男でもある。

 ところが――。

 彼のチームの練習を見ていても、わたしには誰がいいのかがわからなかった。四半世紀前、松岡さんたちの練習を見た時はすぐに数人の選手が印象に残ったのに、2時間あまりの練習を見学しても、わたしのセンサーは無反応のままだった。

 理由は簡単だった。ドリブルをする選手がいないのである。

 「最近の子って、ほんまに仕掛けないんですよ。仕掛けて取られて、周りから文句言われんのがイヤなんかなあ」

 前にスペースがあって、そこを持ち上がっていくというのは、わたしの中ではドリブルではない。単にボールを運んでいるだけのこと。わたしの考えるドリブルとは、個人で個人を置き去りにするプレーである。

 ボールを持った。相手が近づいてきた。ドリブラーなら舌なめずりする場面で、高校生たちはほぼ例外なくパスを選択していた。1対2の場面ならばいざ知らず、1対1の場面、それも相手が本職のDFではない、いわゆるミスマッチの場面ですらそうだった。相手ペナルティーエリア近辺であったとしても!

 これは滝川二に限った話ではない。今年の高校選手権でも、ドリブルで会場を沸かせた選手はほとんどいなかった。

 いわゆるポゼッション・サッカー、パスサッカーを世界的に広めたバルセロナだが、彼らがドリブルを放棄しているわけでは断じてない。ドリブルの破壊力をチラつかせた上でパスをちりばめたからこそ、ティキタカは威力を発揮したのである。

 ACLで柏に完敗したムアントンのトチタワン監督が、試合前、興味深いことを言っていた。

 「ACLでJリーグのチームと対戦したこともある。全てのチームがパスサッカーをしている」

 彼の言う「パスサッカー」が、ドリブル不在のサッカーを指すのであれば、日本サッカーの今後がいささか心配になってくる。(金子達仁氏=スポーツライター)

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