365日 あの頃ヒット曲ランキング 1月

【1971年1月】走れコウタロー/ソルティー・シュガー メンバー急死も活動継続でヒット

[ 2012年1月23日 06:00 ]

 ★71年1月ランキング★
1 走れコウタロー/ソルティー・シュガー
2 京都慕情/渚ゆう子
3 誰かさんと誰かさん/ザ・ドリフターズ
4 望郷/森進一
5 おんな占い/南有二とフルセイルズ
6 京都の恋/渚ゆう子
7 知床旅情/加藤登紀子
8 生きがい/由紀さおり
9 大勝負/水前寺清子
10 愛のきずな/安倍律子
注目女の意地/西田佐知子
※ランキングは当時のレコード売り上げ、有線放送、ラジオ、テレビのベストテン番組などの順位を参考に、話題性を加味してスポニチアネックスが独自に決定。

【走れコウタロー/ソルティー・シュガー】

 あの日、メンバーの一人が遅刻してこなかったら、レコード売り上げ70万枚を記録するヒット曲は生まれなかっただろう。

 小中学校の同級生4人で結成したソルティー・シュガーが都内の中華料理店で待ち合わせをしていたところ、メンバーの山本厚太郎が時間になっても現れなかった。なかなか現れないメンバーを笑って待っていた、池田謙吉の頭の中に必死に走って店に向かう山本の姿が浮かんだ。「走れ走れコウタロー」をこのフレーズが出来ると、メロディーもすんなり出てきた。メンバーの中で競馬をやる輩は一人もいなかったが、これを競走馬に例えて歌を作ったら…。池田の作詞作曲、そして編曲で「走れコウタロー」はソルティー・シュガーの2枚目のシングル候補となった。

 早口で競馬実況の様子を入れたり、東京都で持ち上がっていた公営ギャンブル廃止論を訴える当時美濃部達吉都知事のモノマネを組み込んだりと、コミックソングとしては最高の出来ばえだった。

 ところが、レコーディング直後の70年5月19日、池田が急死した。バンドの解散を残りの3人は考えた。もともと将来音楽で食べていくというつもりはなかっただけに、これが潮時と思った。だが、池田の母が「息子が作ったこの曲だけでも歌ってほしい」と懇願。新メンバーを加えて、7月5日にリリースした。

 これが当たった。競馬のG1レースが始まる秋からヒットチャートの上位にランキングされ、年末の有馬記念前後にはレコードも飛ぶように売れ、年明け71年には有線、ラジオのリクエスト、オリコンチャートで軒並み1位を獲得した。

 日本レコード大賞の新人賞にも輝き、順風満帆に見えたが、大ヒット曲を出したからといって、彼らの方針は変わらなかった。池田が亡くなってちょうど1年の71年5月19日、日比谷野外音楽堂でのステージを最後にソルティー・シュガーは解散した。

 ヒット曲のモデルとなったコウタローは、その後ソロでヒット曲「岬めぐり」を歌った山本コウタロー。池田の後を継いで、「走れ…」で美濃部知事のモノマネと競馬実況の早口ナレーションをした、ビクターで酒井法子を手掛けた。音楽を続ける気はそれほどなかったはずなのに、気がつけば音楽でご飯を食べた人もいた。

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