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【1981年1月】帰ってこいよ/松村和子 トレードマークの三味線 実は弾けなかった

[ 2012年1月6日 06:00 ]

★81年1月ランキング★
1 スニーカーぶる~す/近藤真彦
2 恋=DO!/田原俊彦
3 愛はかげろう/雅夢
4 恋人よ/五輪真弓
5 万里の河/チャゲ&飛鳥/
6 帰ってこいよ/松村和子
7 ひとり上手/中島みゆき
8 眠れぬ夜/西城秀樹
9 大阪しぐれ/都はるみ
10 奥飛騨慕情/竜鉄也/
注目恋のぼんちシート/ザ・ぼんち
※ランキングは当時のレコード売り上げ、有線放送、ラジオ、テレビのベストテン番組などの順位を参考に、話題性を加味してスポニチアネックスが独自に決定。

【帰ってこいよ/松村和子】

 80年大みそかの日本レコード大賞新人賞。豊作といわれた年にノミネートされた田原俊彦、松田聖子、河合奈保子、岩崎良美のアイドルたちに混じって、異種な新人も名を連ねていた。

 北海道出身のその女性歌手は年齢は松田聖子と同じ18歳だったが、小学校5年から伸ばし続けているという髪に、肩からかけた三味線をギターのように扱い、振り袖の下半分をバッサリ切ったような上半身に、白いパンタロンという奇妙な出で立ち。衣装も奇抜なら、歌っている歌も奇抜。演歌とも言えぬ、歌謡曲風のパワーを感じさせるメロディーに高音を張り上げて歌う歌のサビの部分は「帰ってこいよ、(ベンベンベン=三味線の音)、帰ってこいよ(ベンベンベン)、帰ってこ~いよぉ」という印象的なものだった。

 民謡歌手として14歳からステージで歌ってきた松村和子のデビュー曲「帰ってこいよ」は、4月発売ながらジワジワ売れ出し、年末から新年にかけて、ヒットチャート急上昇。81年だけで54万枚をセールス。80年と合わせると70万枚のレコードが売れた。TBS「ザ・ベストテン」にも出演し、最高4位まで上昇。実家の民謡居酒屋の様子をバックにスタジオで歌ったこともあった。

 演歌と民謡のステージを営む父親の一座で中学卒業時から歌っていたが、80年にビクター主催の民謡コンクールに出場。ここで「民謡より演歌を歌った方がいい」とスカウトされた。民謡で鍛えたのどには自信があったが、実はこの時トレードマークとなる三味線は弾けなかったというから驚き。それでも民謡というイメージに三味線は欠かせず、この1曲だけを完璧に弾けるように特訓した。

 異色の新人にビクターも5000万円近い宣伝費を投じたが、一躍松村の名前を世間に広めたのが、国鉄(現JR)のキャンペーンポスター。夏の期間に上野から青森に向かう臨時列車「特急はつかり51号」のキャッチコピーに曲のタイトル「帰ってこいよ」が使われ、三味線を持った松村の写真がデカデカと載った。

 露出度が高まった松村だが、キャンペーンをかねて上野駅のコンコースで「帰ってこいよ」を歌ったところ、涙を流して聴く年配者も出るほど盛況だった。ここでヒットの感触をつかむと、年末にかけてレコードが売れ、有線放送へのリクエストが集まり始めた。

 81年に紅白歌合戦に出場。その後大ヒットには恵まれていないが、現在も現役である。

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