篠山紀信さん死去 老衰83歳 時代を、人を裸にした鬼才写真家 最後の天才カメラマン

[ 2024年1月6日 05:20 ]

写真家の篠山紀信さん
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 日本を代表する写真家で「歌舞伎」「建築」「ヌード」などジャンルの垣根を越えて活躍した篠山紀信(しのやま・きしん、本名=みちのぶ)さんが4日、老衰のため都内で死去した。83歳。東京都出身。葬儀は近親者のみで営む。お別れ会については未定。「激写」シリーズや、宮沢りえ(50)のヘアヌード写真集「Santa Fe」などで社会現象を起こした巨匠の死。被写体となった俳優たちからも、感謝と追悼の言葉が寄せられた。

 篠山さんは4日朝、自宅で冷たくなっているところを家族に発見された。一夜明けた5日、篠山さんの事務所が訃報を発表。「篠山の写真を愛し、応援していただいた読者、関係者の皆さまに深く感謝申し上げます」とコメントした。
 昨年末に食事をした出版関係者は「普段通りに、お酒も飲んでいた。新年会の予定もたくさんあったのに…。持病があるとも聞いていない」と話した。写真展開催のたびに会場に姿を見せていた妻で元歌手の南沙織さん(69)のショックは計り知れないものがあるようだ。
 東京都新宿区の円照寺の次男として生まれ、日大芸術学部写真学科在学中に広告制作会社に入社。68年にフリーになり、同年に発表した女優の江波杏子さんや黒柳徹子のセミヌードを収めた「篠山紀信と28人のおんなたち」で注目を集めた。70年には作家三島由紀夫に依頼され、自決直前の姿を撮影した。
 一躍その名を全国にとどろかせたのは75年に雑誌「GORO」で始めた「激写」シリーズ。山口百恵さんや、79年に結婚した南さんに加えて、女子大生など一般人にもカメラを向けて社会現象をつくった。ロックバンド「キャロル」のジャケットも話題をさらった。
 「激写」は篠山さんの代名詞となったが、一方ではヘアヌードの解禁に向けても長い時間をかけて取り組んだ。日大の同期だった沢渡朔氏らと69年に全日本恥毛露出連盟(ゼンチロレン)を結成して会長に就任。社会の風当たりは強かったが、決して助平心ではなく、“あるものを隠す方が不自然”との信念を持って解禁への空気を醸成していった。
 91年には女優の樋口可南子(65)をモデルにした写真集「water Fruit 不測の事態」で、それまで物議を醸していたヘアヌード解禁の道筋をつくった。続く宮沢りえの「Santa Fe」でヘアヌードを社会に浸透させた。いやらしくなく、美しい同作は脚光を浴び、写真集として歴代1位の165万部を売り上げる空前のヒットとなった。スポニチ紙面でも96年アトランタ五輪、98年長野五輪で写真連載をした。
 デジタル技術が発達しても、写真の修正は一切しなかった。出版関係者からは「今の時代に修正をしないカメラマンはいない。最後の天才カメラマンだろう」との声が上がった。

 篠山 紀信(しのやま・きしん、本名・紀信=みちのぶ)1940年(昭15)12月3日生まれ、東京都出身。66年、東京国立近代美術館「現代写真の10人」展に最年少で参加。71年から10年間、アイドル誌「明星」の表紙の撮影を担当した。73年「女形・玉三郎展」で芸術選奨文部大臣賞新人賞、80年「135人の女ともだち」で毎日芸術賞のほか、94年にスポニチ文化芸術大賞優秀賞など受賞多数。次男はタレントの篠山輝信(40)。

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