福山雅治 バイト先で出会った恩人の言葉 音楽辞めて安定した生活…頭によぎるも「諦めちゃいけないって」

[ 2023年6月19日 14:37 ]

シンガーソングライターで俳優の福山雅治
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 俳優でシンガー・ソングライターの福山雅治(54)が18日放送のTBS「日曜日の初耳学」(日曜後10・00)に出演。10代で出会った恩人の存在を明かした。

 18歳でアーティストを夢見て上京。最初にしたアルバイトは「バンドを組みたかったんで、最先端のアルバイト先がいいなと思って」と宅配のピザ屋だったという。しかし、結局「訛りがきつすぎてクビになりました」とまさかの結末を明かした。

 当時福山は東京・昭島市に住んでおり、最寄りの西武新宿線・拝島からバイト先のある新大久保まで往復3時間かけて通っていた。「バンド組みに来たわりにはムダだなと思って」と回想。「生活を安定させようと思って近所の材木屋さんがアルバイトを募集してたんでしばらく材木屋さんに」とその後は材木店でアルバイトしていた。

 「すごく居心地が良くて。まかないも出るし、給料もそこそこ良い。17、8万円もらってたかな」と環境も給料も申し分ない働き先だった。

 「大将たちもすごく優しくしてくれて、3人の娘さんがいらっしゃって。“福山君1人なんでしょ?晩御飯食べてけば?お風呂も檜風呂だから”って言ってくださって。お父さんとかお母さんと(娘3人との食卓を囲んで)冗談交じりに“もうお前この中から好きなの1人持ってけよ!”って言われたりして…それもいいのかなあって。俺、東京に音楽やりに来たけど、たどり着く場所はこれだったのかと」と音楽を辞めて安定した生活も頭をよぎったという。

 しかし、その材木店で福山を音楽の道に引き戻す恩人との出会いがあった。

 「材木屋さんに元演歌歌手でデビューしていた中西さんという方がいらっしゃって。これがまた色男でね。中西さんとよく一緒に材木の配達をしていて。配達の途中にラジオとか聞いてたりすると、中西さんの同期だった演歌歌手の方で今も歌ってたり、レコードを出していたりするわけです。“福山君、音楽やりに来たなら絶対続けた方がいいよ。大変なことがあると思うけど、僕はテレビを見たりラジオを聞いてたりすると頑張って続けたかったって思うことが今でもあるんだよ”っておっしゃって。その言葉から、あきらめちゃいけないんだなって思いまして。オーディション受けなきゃと思って」と思い直した当時の心境を明かした。 

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