小林亜星さん 豪快な昭和の戦う男、お茶の間の人気者でありながら争い事には一歩も引かず

[ 2021年6月15日 05:30 ]

小林亜星さん死去

問題追及のプラカードを手に行進する小林亜星さん
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 丸々とした顔とその巨漢で、裏方から一躍お茶の間の人気者となった小林亜星さん。還暦を過ぎてからは、寺内貫太郎の役さながらに問題追及や法廷闘争で先頭に立ち「戦うオヤジ」として世間の関心を誘った。

 亜星さんは見た目も中身もスケールの大きな人生だった。

 故服部正さんに師事して1957年頃から楽曲制作を開始。初めてCM曲を手掛けたのは61年。妹がアパレル大手「レナウン」に勤務していた縁で声が掛かり、「ワンサカ娘」を世に送り出した。CM曲といえば童謡やシャンソン調だった当時、軽快なアメリカン・ポップスに乗せて♪イェーイイェーイ…と歌う「ワンサカ娘」が大当たり。消費社会の到来を前に人々の心を浮き立たせた。

 見た目にたがわず酒、タバコ、食事といずれも豪快だった。若かりし頃は毎晩ウイスキーひと瓶を飲み干し、タバコはハイライトを日に5箱というヘビースモーカー。「月の小遣い50万円をほとんど飲み食いに使った」と明かした時期もあった。

 仕事が増えるにつれて体重も増加。おなじみの体形になっていった。話すと二重顎になる愛くるしさや、作曲家然としない表情や話しぶりから、タレントとしてもお茶の間に浸透した。

 一方で、争い事に対しては一歩も引かなかった。所属組織である日本音楽著作権協会(JASRAC)とも徹底抗戦。94年にJASRACの巨額無利子融資問題が明るみに出ると、執行部の不正を糾弾し退陣を迫った。

 98年には「記念樹」騒動で世間の注目を集めた。作曲家の服部克久氏(享年83)が手掛け、フジテレビ「やっぱりさんま大先生」(96~00年放送)のエンディング曲となった「記念樹」が、自身の代表曲「どこまでも行こう」(67年)に「そっくり」と主張し法廷闘争に発展。訴訟は5年にわたり、亜星さんが勝訴した。そのタレント性と芯の強さは数々の名曲と同じように人々をひきつけた。

 ▽水森亜土(「ひみつのアッコちゃん」など)亜星さんの曲は、いつでも新鮮で永遠です。最高。

 ▽加藤登紀子(66年「赤い風船」など)「赤い風船」で1966年に新人賞を受賞しなかったら、今の私はなかったと思います。70年には大関のCMソング「酒は大関」を歌わせていただき、今も続いている「ほろ酔いコンサート」ではいつも大合唱になります。ポップな歌から演歌まで、本当に楽しい歌をたくさん残してくださり、ありがとうございました。

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