小林亜星さん 昼は和魂洋才の作曲、夜は銀座回遊で名を成した昭和一代男

[ 2021年6月15日 05:30 ]

小林亜星さん死去

頑固一徹、まさに「昭和の親父」だった小林亜星さん
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 【悼む 小西良太郎】「北の宿から」をもらった当初、都はるみは戸惑ったと聞く。阿久悠の詞、小林亜星の曲は、それまで彼女が得意とした「演歌」とは、文脈が少々違う「歌謡曲」。歌詞で言えば旧勢力なら「女心の未練でしょうか」と書くところを「未練でしょう」で止めたあたり。女主人公のわきまえ方からして違うのだ。

 もともと小林はCMソングの帝王だった。それが加藤登紀子の「赤い風船」から歌謡曲に幅を広げた。阿久とは「ピンポンパン体操」を大ヒットさせているあたり。歌謡界の新勢力として“洋風”のウマがあったのだろう。

 彼を寺内貫太郎に仕立てたのは演出家の久世光彦。作者の向田邦子が主人公は体も心も大きい人と言うので、小林を紹介したら気味が悪いと逃げ回った。そのころの小林は長髪でサングラス、110キロの体躯(たいく)で両手に指輪…。やむなく久世が彼を丸刈り、紺の半纏(はんてん)、腹巻きに“改造”してOKを取った。ドラマ収録以前から貫太郎は生まれていたことになる。

 しかし貫太郎の頑固一徹、昭和親父ぶりは“地”である。役者としてはズブの素人。演技でキャラなど作れるはずもなかった。

 星野哲郎作詞の小林幸子「泣かせやがってこのやろう」を作った時。作曲者の小林は仕事が重なったため録音を欠席。その詫(わ)びに星野と担当ディレクターを食事に招き、その後を「銀座を10軒」と宣言する。あの体形が目立つから、行きつけの店全部に義理を立てる気。星野は5軒つき合ったという。

 久世に言わせれば「行儀いいくせに猥褻(わいせつ)で、心優しいのにケンカ好きの教養人」の小林は、昼は和魂洋才の歌づくり、夜は銀座回遊族の一人として名を成した昭和一代男だった。 (スポニチOB、音楽評論家)

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2021年6月15日のニュース