青いカケス

[ 2020年2月25日 07:33 ]

2000年に西武でプレーしたトニー・フェルナンデス氏
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 【我満晴朗 こう見えても新人類】西武でプレー経験のあるトニー・フェルナンデス氏が57歳の若さで亡くなった。彼と同じ1962年生まれの筆者は身につまされている。トロント・ブルージェイズで1980年代を代表する名遊撃手だ。同球団には少なからず思い入れもあるので、なおさら感が強い。

 1991年だから、もう29年も前の話だ。翌年のバルセロナ五輪出場をかけた野球のアジア予選をカバーするため、中国を訪れた9月のこと。北京市内にある野球場で日本代表の試合を取材中、閑散としたバックネット裏でメモ帳を手にする何やら怪しげな(失礼)欧米人を発見した。

 もしや? まさか? メジャーのスカウト?

 野茂英雄投手が海を渡ってドジャーズと契約する4年前だ。海外FAどころか日米間の選手移籍に関するルールさえ整備されていなかった時代。日本のアマ選手に大リーグが注目しているなんて夢にも思わなかった。

 疑心暗鬼でプレスボックスを抜け出し突撃取材。名刺交換後に確認した球団名がブルージェイズだ。「今すぐに日本のアマチュアを獲得するつもりは全くない。ただ、どんな選手がいるかは常に把握しておきたいのでね」と気さくに明かしてくれたのはカナダ出身のベテランスカウト、ウェイン・モーガン氏。

 その時は知らなかったが、後に巨人でプレーしたロイド・モスビー外野手を獲得した実績のある重鎮だ。そんな名スカウトがアジアのアマ球界をチェックしているとは…。ブルージェイズの視野の広さに軽く衝撃を覚えた記憶がある。

 モーガン氏と情報を交換し合う関係となって2、3年後。何の前ぶれもなく「ウチの日本在駐スカウトになってくれないか?」と打診されたのには少々驚いた。インターネットが一般的に普及していなかった時代。北米のチームが日本球界の情報を英語で得る手段は極端に限られていた。ゆえに日本で野球記者を生業としていた筆者に白羽の矢が立ったのだろう。

 一瞬、ぐらっときた。これは千載一遇のチャンス。せっかくだからお受けしようという考えも頭をよぎったが、なにしろ筆者の実技経験は「草」程度だ。専門的に選手を評価する能力はゼロに等しい。副業禁止という社内規定もある。最終的には丁重にお断りした。

 そのブルージェイズ。長きにわたって日本選手の採用に積極的とは言えなかったものの、今季は前巨人の山口俊投手と契約したではないか。彼が背負う「1」は、故フェルナンデス氏の代名詞ともいうべき背番号。いい選手を採ったなあと、極東の元スカウトもどきは1人悦に入っている。(専門委員)

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