【甲子園】下関国際“坂原野球”の原点 雑草刈り、トイレ掃除…「人間として大きくなれ」

[ 2022年8月22日 19:55 ]

第104回全国高校野球選手権第14日 決勝   下関国際1-8仙台育英 ( 2022年8月22日    甲子園 )

<仙台育英・下関国際>表彰式を終え、ナインに声をかける下関国際・坂原監督(中央右)(撮影・北條 貴史) 
Photo By スポニチ

 坂原監督は2005年8月に下関国際の監督に就任した。当時の野球部員は11人。2年生だった金原寛幸さん(34)は懐かしそうに、その指導を振り返った。「野球より私生活を大事にしていました。人間として大きくなれという感じでした」。雑草が生えていたグラウンドを一緒に草抜きすることから始まった。

 「一番の思い出は熱かったこと。熱い気持ちで(生徒に)来てくれました」。トイレ掃除のやり方から丁寧に指導され、落書きもあった部室にペンキを一緒に塗ったことは、今ではいい思い出だ。「最初は(指導に)戸惑いましたけどね。野球をする前に、まずは整えようというところから教わったので、今の監督には感謝しかないです」と語った。

 当時、一番厳しかったのは「1分間走」。本塁から外野をぐるっと回って再び本塁まで時間内に戻ってくるトレーニングだ。「当時のグラウンドは狭かったんですけど、全力で走らないと間に合わなくて…」。1人でもできなければ連帯責任で全員クリアするまで続けられた。チームで動くことを学んだ。

 朝練が始まり、以前より練習時間が増加したことで、数人の部員が辞めていった。金原さんも3年夏の大会前に体力的な理由で寮から逃げ出して下関市内の実家に帰ったことがある。「監督は追っかけてきました」。説得され最後までやりきったという。

 現在は愛知県で会社員として働く金原さん。決勝は観戦することができなかったが、「社会人になって、上司がブレなければこういう結果が出るんだなと、今は凄く感じています」と話した。

続きを表示

この記事のフォト

2022年8月22日のニュース