日本ハム“木田画伯”今年の一字は「明」、須藤豊氏の「明るく、厳しく」の教えから

[ 2022年1月7日 07:00 ]

木田画伯の球界絵日記
Photo By スポニチ

 日本ハムの木田優夫2軍監督(53)による「木田画伯の球界絵日記」。新年の第1弾は「今年の漢字」です。2軍監督という新たな責務を担う2022年。巨人入団時の2軍監督だった須藤豊氏(84=現評論家)の教えを胸に「明」の一文字に思いを込めました。

 新年おめでとうございます。2022年最初の絵日記は、毎年恒例となっている1年のテーマにする漢字一文字です。今年の漢字は「明」です。

 僕は今年からファイターズのファームの監督に就任しました。就任が決まってから、毎日いろんなことを考えています。その中の一つが、GM補佐時代に吉村浩GM(現チーム統轄本部長)からいつも言われていた「1980年代後半のジャイアンツのファームは選手がよく育っていたけれども、その要因は何だったのか」ということです。結局、今も答えは出ていませんが、僕がジャイアンツに入団した時にファームの監督だった須藤豊さんの「明るく、厳しく」という言葉通りの雰囲気がチームにあったように思います。

 今回、僕がファームの監督に就任することを須藤さんに報告した時に「“明るく、厳しく”という言葉を僕も使っていいですか」とお願いしたところ、「その言葉には続きがある。それは“夢を持って”だ。ファームは選手に夢を持たせなければいけないということを忘れるな」と教えていただきました。

 80年代後半のジャイアンツは確かに多くの選手が2軍から1軍に上がって活躍しましたが、それでも全員が夢をかなえられたわけではありませんでした。ただ、みんな夢を持って野球をしていたと思います。今年の鎌ケ谷の選手に夢を持ってもらって、チームの明日を、選手の明日を信じて取り組んでいこうと思います。(日本ハム2軍監督)

 ≪須藤さんの指導「厳しかったですね」≫木田2軍監督の巨人入団時(87年)の2軍監督だった須藤氏は、大洋(現DeNA)監督を経て93年から巨人のヘッドコーチも務めた。その指導を「厳しかったですね」と振り返る。初めて1軍に上がって2勝した89年は、シーズン中に右上腕部を故障して9月から米アリゾナ教育リーグに参加。結果が良ければ日本シリーズに呼ばれるという試合に登板して「ボコボコに打たれ、須藤さんに怒られて帰国させてもらえなかった」のもいい思い出となっている。

続きを表示

2022年1月7日のニュース