阪神ドラ4前川「今まで味わったことないくらい悔しかった」 高3センバツでの併殺打

[ 2021年12月7日 05:30 ]

兄の助言で“変身”1年夏に甲子園に出場した前川

 【阪神新人連載「猛虎新時代の鼓動」4位・前川(下)】変身のきっかけは、すでに三重の強豪・津田学園の「4番三塁」を張っていた兄・夏輝さんの助言だった。「高校野球は甘くない。そんな体じゃやっていけない」。1年から活躍することを思い描いていた右京にとって、この言葉が高校での成功につながったと言っても過言ではない。

 食事の量を増やすことは、もちろん、津ボーイズの松本監督の自宅近くの松阪市まで片道1時間かけて通い、二人三脚で1日5時間超のトレーニング。体重を60キロ台から20キロも増やして智弁学園に入学し、小坂将商監督を驚かせた。

 最初の練習試合では高さ30メートルの右翼防球ネットの最上部を直撃する、あと少しで本塁打の大ファウル。この打球が小坂監督に即刻4番としての起用を決断させた。兄と同時に聖地の土を踏んだ1年夏の甲子園では初戦敗退。2年春夏は新型コロナウイルスに甲子園を阻まれたが、2年秋の近畿大会決勝の大阪桐蔭戦では3番打者として優勝へ導く右翼への場外弾。翌春選抜での活躍を期した。

 その選抜で壁にぶつかった。3試合で本塁打はゼロ。明豊との準々決勝ではことごとくチャンスで打てず、8回無死一、二塁では併殺打に倒れるなど4打数無安打に終わった。試合後には責任を背負って号泣した。「自分の結果ばかり求めていたツケが回ってきた」。もともと黙々と取り組む性格。さらに練習に熱が入り、走る量が格段に増え、自主的にバットを振り込む時間も長くなった。

 選抜後、最初の練習試合では1年春に最上部直撃だった防球ネットをついに越える一発を放った。体重を90キロから少し絞って体にキレを出し、打順1番や2番にも挑戦。チームの勝利を最優先に、つなぐ意識を強く持つようになったことが最後の夏の甲子園大会準優勝と、バックスクリーンへの2本塁打につながった。苦い経験が右京を一回りも二回りも大きくした。

 高校生活で最も印象に残っている一打には、どの本塁打よりも明豊戦の併殺打を挙げた。「感情であったり、試合展開、すべてのところで頭に残っている。今まで味わったことないぐらい悔しかった。でも、ああいった打席を経験できたからこそ、夏に挽回できたと思っています」。高校3年間ではあと一歩のところで届かなかった日本一。勝手知ったる甲子園で、夢の続きをかなえる。(北野 将市)

 ◇前川 右京(まえがわ・うきょう)2003年(平15)5月18日生まれ、三重県津市出身の18歳。白塚小1年から白塚バッファローズでソフトボールを始め、投手で6年時に全国大会出場。一身田中では津ボーイズに在籍し、投手と外野手で3年時に全国大会出場。智弁学園では1年春から主力で、甲子園は同夏、2年の交流試合、3年春夏と計4度出場。50メートル走6秒3、遠投100メートル。1メートル76、88キロ。左投げ左打ち。

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2021年12月7日のニュース