広島・フランスアの活躍は「スターの卵」の原動力 18年ブレークでコルニエルら誕生の土台に

[ 2021年6月16日 09:00 ]

広島・フランスア
Photo By スポニチ

 広島・ヘロニモ・フランスア投手(27)の功績は、着実に後輩に受け継がれている。彼の夢を聞いたのは、シーズン途中に支配下登録されてリーグ優勝に貢献した18年だった。

 「カープアカデミーにいた頃(同アカデミー出身の)ロサリオが広島の試合に出ていることがモチベーションになった。次は僕が頑張って母国で練習する選手の力になりたい」

 当時、カープアカデミー担当コーチを務めていた古沢憲司氏は「日本での成功は、すぐ現地で広まる。アメリカンドリームしか選択肢になかったドミニカの選手が日本でもお金を稼げることを知るだろう」と予想していた。そして、フランスアがブレークした翌年の19年、ドミニカ共和国のカープアカデミーの門を叩いたのがコルニエルである。いまや立派な1軍の戦力だ。

 フランスアは、14年にカープアカデミーに所属した。同年に同アカデミー出身かつ広島で支配下登録されていたのは外野手のロサリオのみ。「正直、プロ野球のことは何も知らなかった」。それでも、大リーグ・アストロズ傘下のアカデミーとの契約が切れた以上、目標を日本行きに切り替えるしかなかった。ここで古沢コーチや球団OBのフェリシアーノ氏と出会う。

 「野球の知識がなかった僕がカープアカデミーの指導で変わることができた。でも、周りの選手のレベルが高くて、来日できるとは思っていなかった。誰より一生懸命に練習する姿を見て、来日させてくれたのだと思う」

 練習生として14年9月に来日した。育成契約を結んだのは18年3月。下積み期間が長引いても諦めなかった。「ブルペン投球ばかりだし、ドミニカに帰ろうと思った。でも、最後にあと1年だけ…と思って頑張った」。18年5月に支配下登録をつかむと才能が花開いた。勝ち継投の一角を担って、リーグ3連覇の立役者となった。

 努力でつかんだ支配下までの道のりは、その後に来日する選手の見本となっている。コルニエルが1年超の練習生期間を耐えられたのも、先輩の存在が大きかったに違いない。コルニエルは、支配下登録会見で「中継ぎをやりたい。そして、球宴に出てみたい」と語った。先輩の背中を追いかけているのだ。

 フランスアは、3月の右膝手術を経て、2軍戦で実戦復帰を果たしている。1軍でコルニエルと共闘する日も遠くない。それが来日を夢見る選手の希望となる。(記者コラム・河合 洋介)

続きを表示

2021年6月16日のニュース