【内田雅也の追球】「恐怖」去る「挑」 2003年と酷似する阪神の独走 交流戦ブレークに思う「原点」

[ 2021年6月16日 08:00 ]

優勝監督インタビューでお立ち台に上がった星野仙一監督。第一声は「あ~、しんどかった」だった(2003年9月15日、甲子園)
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 ゆっくり歩んだ星野仙一は大声援のスタンドに手を振った。お立ち台に上り、第一声は、

 「あ~、しんどかった」

 だった。大歓声が沸き上がった。

 2003年9月15日の甲子園球場。優勝監督インタビューである。

 「しんどい」は基は関西方言。<シンロウ(辛労)にイを付けて形容詞化したもの>と牧村史陽編『大阪ことば事典』(講談社学術文庫)にある。阪神の地元関西にとけ込もうとした星野一流の心配りを思う。

 それに、この「しんどかった」はまさに本音、本心だった。

 お立ち台では「6月から長かったなあ。これがひっくり返ると、ファンがどういう態度に出るだろうと怖かったですねえ」と言った。

 実際<6月ごろから怖かった>と、当時、連日更新していた自身のホームページ『星野仙一のトラトラトラ』で心境を明かしている。同サイトを基に編集した『星野仙一 闘将日記』(実業之日本社)の「はじめに」で<あ~、しんどかった」という優勝インタビューの第一声は、いろいろな意味で、わたしの偽らざる本心だったのである>と書いている。

 優勝直後に出した著書『夢 命を懸けたV達成への647日』(角川書店)では、いかに恐怖と闘っていたかを記している。

 <きょうは勝っても明日は負けるんじゃあないかと思う。一つ負けると明日もあさっても、また負けるんじゃあないかと思う。連勝すると今度はその反動で、これからはずーっと連敗するんじゃあないかと思う……>

 当欄で何度も書いてきたが、ペナントレースは「一寸先は闇」の世界である。いつが頂点なのか、どん底なのか、誰にも分からない。だから平常心を保つことが肝要なのだが、これが難しい。

 星野でさえ、毎日、不安と恐怖に襲われていた。それが<6月ごろから>だった。辛労が極まっていたのだろう。

 今年は、そんな03年と状況が似ている。目下60試合を戦い、39勝19敗2分け。2位・巨人に7ゲーム差をつけ首位を快走している。03年同時期は40勝19敗1分、2位・巨人に8ゲーム差。当時は18年ぶり、今年は16年ぶり優勝へ、周囲の期待が高まりだしたころだ。

 現監督の矢野燿大も星野のような恐怖を抱いているかもしれない。

 03年は最優秀選手(MVP)投票次点(受賞者は井川慶)と貢献した矢野は<勝ち試合の後ほど眠れなかった><勝利に貢献できたという思いで、うれし過ぎて興奮して、眠れなくなってくる>と著書『考える虎』(ベースボール・マガジン社新書)に記している。

 だが今は選手時代の興奮と種類が違う。喜びと興奮の質が異なる。監督として勝敗の責任を負う立場にある。

 そんな矢野が恐怖をぬぐい去る方法がある。今季のスローガン「挑・超・頂」で「僕たちに一番必要なことは“挑戦すること”と考えています」と最初に掲げた「挑」である。「エラーをしても前に出る、打たれても向かっていく、そんな姿勢が成長には必要と思い、まずは“挑む”を最初に掲げました」

 負けても前を向くわけだ。この挑戦者精神でいられれば、受け身の態勢にはならない。恐怖とは無縁だ。矢野はもちろん、チームとして交流戦明けのブレーク期間、思い出したい原点として書いておきたい。 =敬称略= (編集委員)

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