【内田雅也の追球】「上段の構え」の佐藤輝と田淵 阪神大物ルーキーに見る夢と希望

[ 2021年4月14日 08:00 ]

左翼席へプロ初本塁打を放つ田淵幸一(1969年4月13日、甲子園球場)

 田淵幸一プロ初本塁打の日だった。52年前、阪神入りした1969(昭和44)年4月13日、甲子園球場での大洋(現DeNA)ダブルヘッダー第2試合。6回裏、右腕・池田重喜の初球を左翼席に運んだ。無我夢中で「内角か外角かも覚えていません。とにかく低めでした」と当時の記事に談話がある。

 開幕3戦目、初スタメンで7番捕手だった。前日12日の開幕戦では9回裏1死で代打で初出場、平松政次に対した。<最大の武器、シュートなんて1球も投げてこない。全部ストレート。すべて見逃しての3球三振である>と、著書『タテジマ』(世界文化社)に記している。強烈なプロの洗礼を浴びていた。

 独身寮「虎風荘」に帰った田淵は考えた。プロの速球に遅れないため、構えを変えた。<大学時代は上段の構え。グリップは顔の高さにあった。そのグリップをいったん下げ、もう一度上げてから打ちにいっても大学生の球は打てた。でも、そんな無駄な動きをしていたらプロの球には遅れる。そのまま振り出せる位置。そこまでグリップを下げようと思った>。

 さすがだと驚くのは手早い修正と翌日すぐ結果を出す点である。しかも初本塁打の後に2本目を左中間席に放った。

 思うのは阪神の大物新人、佐藤輝明である。田淵と同じくグリップが高い位置の「上段の構え」である。

 開幕から対戦カードが1巡、15試合を行い、いずれも衝撃的な3本塁打を放った。ただ、打率は1割台で三振数はダントツの24個。胸元速球で攻められ、苦しむ姿も見られる。それでも上段の構えは変えていない。今後、構えを変えるのか。または、そのまま通すのだろうか。

 あの王貞治も入団当初は「三振王」とやじが飛んだ。フォームが似ていると言われる柳田悠岐も1年目は出場6試合。田淵の本塁打は1年目から22、21、18ときて4年目に34本、7年目43本で初の本塁打王となった。

 長い目で見たい。田淵は「空振りでファンを沸かせるのはスターの証明」と楽しみにしている。

 田淵の初アーチ(1試合2本塁打)に本紙・緒方軍治は1面原稿を<田淵には夢がある>と書きだしている。<何をやらしてもファンは熱狂する。三振しても喜ぶ。オーバーな表現をすれば、田淵が痛がればファンも痛がる……。とにかく夢と希望を提供してくれる男だ>。

 当時、田淵に抱いた夢や希望は今の佐藤輝にも通じてる。

 13日の広島戦。甲子園は中止だった。二十四節気「清明」に降る雨は「発火雨(はっかう)」と呼ばれる。桃の花に降る雨が遠目に火を発しているように見えるのが語源らしい。

 また、剣道で上段の構えを「火の構え」というそうだ。構えがどうだとか、佐藤輝に希望を見るファンには実際、どうでもいいことなのかもしれない。

 チーム好調なら雨もまた楽し、である。上段に構える佐藤輝の打撃に火がつく雨だと思えばいい。=敬称略=(編集委員)

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