【内田雅也の追球】「明るさ」期待の2番――糸井―近本でようやく初得点の阪神

[ 2020年6月14日 07:00 ]

練習試合   阪神1―1オリックス ( 2020年6月13日    京セラD )

1番に入った糸井(左)と2番の近本
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 糸井義男―近本光司の1―2番は今季の阪神打線の売り物である。昨季セ・リーグ2位の4割3厘と出塁率の高い1番・糸井を塁上に置き、近本には基本的に「打て」で好機を拡大する。昨季盗塁王、併殺打わずかに2本の俊足の近本には「併殺がない」。理にかなっているし、監督・矢野燿大の構想に賛成する。

 ただ、なかなか結果が出ていない。13日のオリックス戦(京セラ)では1番糸井が四球、四球、中前打と3打席とも出塁。だが、生還を果たしたのは6回表だけ(得点は代走・高山俊が記録)だった。この時は無死一塁で近本は四球を選び一、二塁。2死後、二塁打で唯一の得点を記した。

 1回表は無死一塁で近本は初球を打ってでたが二塁正面のゴロで糸井二封。1死一塁から近本が二盗を試みたが、リプレー検証となる際どいタイミングで憤死した。

 調べてみると、今月2日再開の練習試合のうち2番近本で臨んだ8試合で、1番糸井が得点したのはこの日が2点目。前回は糸井自身の本塁打で2番は無関係。6日ソフトバンク戦(甲子園)では無死二塁で近本の一ゴロが強すぎて、三塁で糸井が憤死する珍しいケースもあった。つまり、四球でつないだこの日が初めての1―2番連携での得点だったのだ。

 2番打者にはどうしても「走者を進める」という役割がついて回る。巨人V9の指南書と呼ばれた『ドジャースの戦法』(アル・カンパニス著)の翻訳本(ベースボール・マガジン社)が出たのは1957(昭和32)年だった。2番打者について<一塁走者を三塁まで進めるため、走者に後ろに打つこと(ヒットエンドラン)のできる人。またバントが上手で足が速いこと>と条件が書かれている。この古い常識が今でも残っている。

 そんな<義務感>を<原罪>だと指摘したのは1980年代に活躍した野球批評家、草野進だった。<どうも原罪を背負ったような陰鬱(いんうつ)さ>とし<二番打者をめぐる概念を変革>と望んだ。『どうしたってプロ野球は面白い』(中央公論社)に書いた。83年7月の文章である。

 時代は移り、犠打や進塁打にとらわれない、攻撃的な2番も多く見受けるようになった。バントも減った。一発長打のある2番も、俊足好打の2番もいる。ともに強攻策で好機を広げ、大量得点を狙う爽快さがある。

 前夜は試験的に「1番近本、3番糸井」の打順を組んだ。矢野は何も「2番近本」に固執しているわけではないだろう。

 ただし、期待のほどは痛いほど分かる。近本が2番ではつらつと打ち、走る打線こそ、優勝チームにふさわしい。

 かつて草野が指摘した<暗い>2番とは異なり、近本2番は「超積極的」と「明るさ」を前面に押し立てる矢野の野球にふさわしい。構想も期待も間違っていない。欲しいのは結果である。=敬称略=(編集委員)

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2020年6月14日のニュース