阪神・フィルダーが運んだ10年ぶり“快幕”――来日1年目の助っ人、球団史上初の開幕戦弾

[ 2020年4月14日 05:30 ]

開幕よ、来い――猛虎のシーズン初戦を振り返る

89年4月8日、広島戦の8回 球団史上初の新助っ人開幕弾を放ったフィルダー(投手・長冨)
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 【1989年4月8日 広島市民 阪神5―4広島】セシル・フィルダーは宿舎で読んだオリオールズ元監督のR・ウィーバーの自叙伝にあった一節を思い出し、自分に暗示をかけた。「本塁打で最も出やすいのは3ランだ。なぜなら満塁を嫌う投手の攻めは、必然的に甘くなるからだ」。米大リーグの名将が残した格言にピタリと当てはまる状況だった。

 0―4の8回。4連打で2点を返し、なお無死一、二塁の好機を託された。開幕に備えて短く刈り込んだ頭の中で3ランのイメージを膨らませ、集中力が高まった。「球種はストレートかスライダーが中心や」。4番に控える岡田彰布の助言も得て、初対決だった長冨浩志の攻略に迷いはなかった。

 「こういう場面で打つことが自分の仕事だと思っているんだ。1球目は空振りしたけど、好きな球だった。その後に来た球も好きな球。2球続けて来たからね」

 1ストライクから2球目、内角寄り直球に対して960グラムの重量バットを軽々と振り抜き、滞空時間の長い弾道で左翼上段まで運んだ。推定130メートルの逆転弾。1分けを挟んで8連敗中だった開幕戦で10年ぶりの勝利を呼んだ。

 「トゥデイ・イズ・グレードデイ。気分は最高だ。勝てたのはオレの力だけじゃなく、みんなが途中でギブアップせず、最後まで諦めなかったからだ」

 前年途中に退団したランディ・バースの後釜として期待されながらオープン戦は不振。周囲の目は厳しかった。広島への出発前、来日中だったバースに悩みを打ち明けた。「野球のアドバイスを受けていない。でも、人間的にいい人で、いろいろ話をしたんだ。それで分かったのは“オレはオレ”ということさ」。新外国人打者としては球団史上初の開幕弾で、平成最初の開幕を華々しく発進した。

 以降も順調に強打を重ねながら、9月に三振の腹いせで地面に叩きつけたバットが右手小指に当たって骨折。38発で離脱し、3本差で本塁打王を逃した。残留交渉もまとまらず、わずか1年で退団。2年後の91年から再び11年連続開幕戦黒星のトンネルに入ることになった。

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