大船渡・佐々木の“不完全燃焼” 将来、美談になることを願う

[ 2019年7月31日 10:15 ]

笑顔を見せる大船渡・佐々木(撮影・木村 揚輔)
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 岩手大会決勝を登板回避し、甲子園出場を逃した大船渡・佐々木朗希投手の注目度が凄まじい。時間の経過とともにフィーバーは徐々に沈静化するとは思う。それでも、知名度が格段に高まったことで、これまで通りに日常生活を送るのも難しくなるかもしれない。

 昨年は金足農の吉田輝星(現日本ハム)、大阪桐蔭の根尾昂(現中日)、藤原恭大(現ロッテ)が大きな話題となった。一昨年は早実・清宮幸太郎(現日本ハム)だ。花巻東・大谷翔平(日本ハム→エンゼルス)は、プロでも二刀流に挑戦することで注目を浴びた。とはいえ、「ハンカチ王子」として社会現象になった早実・斎藤佑樹(現日本ハム)のフィーバーぶりは、肌感覚として桁違いだった。

 斎藤の注目度は、06年夏の甲子園優勝後も衰えることはなかった。同年秋、兵庫・高砂で行われた国体だった。当時、記者はロッテ担当。球団がドラフト1位で指名した八重山商工の大嶺祐太の入団が微妙と思われたことで、国体に出場する大嶺を取材するために高校野球を一時的に見ることになった。

 会場に足を運ぶと、大会前から球場自体が斎藤仕様になっていた。隣接する陸上競技場までの約70メートルが白いテントで覆われる「斎藤ロード」が設置され、混乱が起きないようにと警官を100人以上動員し、観客の入場も整理券を配布して制限した。それでも斎藤を見ようと、200人以上が徹夜で並んだ。

 早大を経由してプロ入りした斎藤の1年目のフィーバーぶりは、日本ハム担当として目の当たりにした。新人合同自主トレの初日には、上空にヘリコプターが旋回。前代未聞の光景だった。斎藤自身も「自分でも、あのときは異常だった」と振り返るほどだ。

 正直、斎藤にとっては大きなストレスだったと思う。近くで見ていて、かわいそうだなと感じることもあった。ただ、野球界にとっては「ハンカチ王子」のキャラクターによって新たなファン層が開拓されたと思う。それほどのインパクトを残した。

 佐々木の剛腕伝説は、プロ入り後も続くだろう。甲子園でその雄姿を見たかった。本人も完全燃焼できていないだろう。ならば、後付けでいい。甲子園に出られなかったことが将来、美談になるような物語が待っているといいな、と勝手に思っている。(記者コラム・横市 勇)

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