自分のスタイル貫く34歳 BC栃木で西岡が「やりたい」こととは

[ 2019年4月10日 09:00 ]

BCリーグ栃木の開幕戦に出場した西岡
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 久々に対面した。一瞬の間があって、「おーーーっ」と大きな声で笑ってくれた。第一声から西岡節だった。「老けたね。わざわざ、来てくれたの!」。担当していたのは、もう13年前。年齢を重ねたのはお互いさまだが、これだけ歓迎してもらえれば、憎まれ口もうれしくなるものだ。

 ルートインBCリーグの開幕戦を見てきた。6日に行われた茨城―栃木の一戦。お目当ては、昨季限りで阪神を自由契約になって、栃木に入団した西岡だ。05年にロッテが日本一に輝いた際にブレークした瞬間を間近で見てきた。

 潜在能力は分かっている。独立リーグというカテゴリーの中で、ひと目見れば実力の格が違うことも分かった。3安打3打点1盗塁をマークし、観戦できなかったが、翌7日の群馬戦では一発も放った。

 ここで記したいのは、NPBを目指し、西岡が奮闘している話ではない。そのプレースタイルだ。初回、記念すべきデビュー戦で、初球からセーフティーバントを試みた。三塁線に転がった打球は惜しくもファウル。2球目は右翼線へライナーへ運ぶと、迷うことなく二塁まで進んだ。

 次打者の定位置よりも浅い右飛でタッチアップし、犠飛で生還した。8回無死一、三塁では初球から二盗。9回無死満塁の打席では一塁線を破ると三塁まで激走した。

 記者として05、06年までロッテ担当だった。その後はヤクルト、日本ハムの担当記者としてライバルチームの西岡を見た。2010年の西岡は206安打をマークし、首位打者に輝いた。鍛えられた体は大きくなり、長打も増えた。球界を代表する強打者だった。

 ただ、独立リーグで見せてくれた姿は、34歳となった年齢に逆らうようなプレーだった。「セーフティーバントや内野安打で率を稼いできた。それが自分のスタイル」。21、22歳の頃のように、あごを突き出して前のめりとなって走った。

 その姿はかつて見た姿と同じだった。なぜ、原点ともいえるプレースタイルに戻ろうとしているのかを聞いてみた。「人間が生まれ持った骨格というのは、人それぞれ違う。何十年もやってきたスタイルとはいうのは、1、2年では変えられない」と語った。

 そして、驚きの答えも返ってきた。「僕の経験不足で、そのときは分からなかった」――。2010年にはロッテを日本一に導いた。首位打者になって、200安打も打ったのに、そのプレースタイルは「本来のものではない」と言うのだ。

 メジャーから戻り、阪神に入団した。16年に左アキレス腱を断裂。二塁手として右翼を守っていた福留と交錯してのアクシデントだった。「若い頃からしっかりとストレッチをしていれば…。もっと自分にスピードがあれば(激突する前に)確認することもできたかもしれない」。大怪我から3年。地獄を味わったからこそ、本来の自分を知ることができたのだろう。

 NPBへ復帰する道のりは険しい。西岡は「若い頃できなかったことを、ここでやりたい」とも言った。地味なストレッチは継続して取り組んでいる。故障の影響も年々癒えているようだ。お世辞を言うつもりはないが、西岡のスピードは戻っていると思う。(記者コラム・横市 勇)

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2019年4月10日のニュース