【高校野球メモリアルイヤー】宇部商・藤田修平 幻の211球目…もしもボークじゃなかったら

[ 2018年5月23日 10:00 ]

第80回全国高校野球選手権大会2回戦   宇部商業2―3豊田大谷 ( 1998年8月16日    甲子園 )

サヨナラボークで敗れた宇部商・藤田(左)
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 松坂大輔擁する横浜が春夏連覇を成し遂げた1998年夏。作詞家の故阿久悠氏は、延長15回の激闘の末に大会史上唯一となるサヨナラボークで甲子園を去った宇部商(山口)の2年生左腕・藤田修平に向け「敗戦投手への手紙」と題した詩を書いた。あれから20年。投げられなかった「211球目」に迫った。 (吉村 貢司)

 山口県内にある藤田の自宅玄関を入ったところに阿久悠直筆の詩のコピーが額に入れて飾られている。「華奢(きゃしゃ)とも思える体躯(たいく)」と表現された当時1メートル72、58キロだった体は20年をへて1メートル78、66キロと一回り大きくなったが、あどけない表情は変わらないままだった。

 「甲子園の詩」の存在は敗れた翌日の新聞を見て知ったという。

 「一番印象に残ったのは“来年また逢いましょう”というところ。それくらい僕のことを思ってくれたのかなと(勝手に)思い、すごくうれしかった。また、甲子園に行きたい気持ちになった」

 サヨナラボーク――。2―2の延長15回無死満塁。7番の持田泰樹を1ボール2ストライクと追い込んだところで悲劇は起きた。捕手・上本達之(現西武ブルペン捕手)のサインにうなずきセットポジションに入ろうとボールを持った左手を右手グラブに向けた途中で再度サインが出た。プレートを踏んだまま、左手を腰の位置に戻すと、球審の林清一がボークを宣告して三塁走者の生還を促し3時間52分の激闘はあっけない幕切れを迎えた。

 当時はまだ、走者が打者にコースや球種を伝達することが規制されていなかった。藤田―上本のバッテリーも“サイン盗み”の動きを確認しており「走者が二塁のときのみ、サインを2度出し。球種は真っすぐとカーブだけだったんで。なんで、あのときだけああなったのか分からない。慣れてなかったんでしょうね」。延長戦も、ボークも、藤田にとっては初めての体験だった。

 その後の秋季大会は地区大会で敗れ、3年夏も山口大会準々決勝で敗退。甲子園に戻ることはできなかった。最後の大会後、当時監督だった玉国光男から、98年夏の大会後に学校宛てに届いていた、段ボール箱いっぱいの手紙を渡された。「すぐに渡したら(自分が)調子に乗るやろう、と聞いた」。夏休み中に300通を超える手紙全てに目を通した。小さい子供、お年寄り、障がい者ら幅広い人々からの励ましの言葉がつまっていた。

 「感動を与えるために野球をやっていたわけではない。一生懸命やった姿でそう思ってもらえたのがうれしかった。僕自身は全然すごい投手じゃなかった。たまたま、ハマッてああいうふうになった。松坂世代が活躍する中で、ちんちくりんの僕がやったことで感動してもらえたのかなと。高校野球の力の大きさを改めて感じました」

 福岡大に進んだが3年春に肩を痛め、4年秋を前に軟式野球部があった彦島製錬に入社。ただ、完治することはなかった。常に“悲劇の投手”という言葉がつきまとう人生。「当時は全然知らない人からも声をかけられ、周りの目が気になったこともあった。でも、今となっては特に嫌でもなく、悪い思い出ではない」。時間の経過とともに傷は癒えた。

 投げられなかった「幻の211球目」を今、投げるとすれば――。「(あの時も)投げる球は内角真っすぐと決まっていた。たぶん、同じ内角真っすぐを投げると思う。ヒット打たれてサヨナラ負けかな」と想像した後に続けた。「もう1回、ボークしよったかもしれませんね」。高校2年の夏、見せることのなかった「笑顔」が、そこにはあった。 =敬称略=

 《阿久悠さん観戦記》 いかにもタフネスを誇り、表情も豊かな豊田大谷の上田(かんだ)晃広投手と、対照的に少年の面影を残す宇部商の藤田修平投手が、延長十五回をともに一人で投げきった。長い試合であったが、途中からはその長さも忘れ、ただただ二人の投手の強さに感心していた。上田投手二百二十八球、藤田投手も二百十球を投げている。快晴、真夏日であった。

 藤田投手の記録上の投球数は二百十球であるが、二百十一球目に心が行っている時にボークとなった。そして、そのボークで決勝点が入った。意識だけの一球で敗れた投手の心情を思うと胸が痛くなるが、仕方がない。

 藤田投手は二年生である。そういえば、今年の大会は、昨年甲子園で痛い目にあった二年生投手の、一年後の「恩返し」が目立っている。鹿児島実の杉内投手も七回の壁の前でくずれたがノーヒッターになり、押し出しでサヨナラ負けの浜田の和田投手も勝った。藤田投手も来年「恩返し」をするだろう。

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