宇部商・藤田修平氏、渡された211球目のボール 記憶ないまま“行方不明”に

[ 2018年5月23日 10:00 ]

阿久悠さんが見たあの夏の記憶

当時を振り返る藤田氏
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 松坂大輔擁する横浜が春夏連覇を成し遂げた1998年夏。宇部商(山口)の2年生左腕・藤田修平は、延長15回の激闘の末に大会史上唯一となるサヨナラボークで甲子園を去った。あれから20年。投げられなかった「211球目」に迫った。

 211球目のボールは、球審の林清一が「持っていなさい」と差し出した藤田に戻したとされる。2人が再会を果たした13年7月に林から明かされたというが、藤田には当時の記憶がなく“行方不明”のままだ。「あの時はボーっとしていたのか、宿舎に帰るまでも覚えていない。バスの中でどうしていたのかも記憶にない。(宿舎で)横になったときに全身がしびれる感覚だったことだけは覚えている」。敗戦時の8月16日は父・義宏氏の誕生日といい「ボールがあれば(後日に)あげていたと思う。なくしてしまったかと」と申し訳なさそうに話した。

 藤田は休日に小5の長男が所属する軟式野球チームの手伝いをすることで、現在も野球に関わっている。長男は幼少期、野球に興味がなかったが、テレビ番組の企画で誰もいない甲子園のスタンドを2人で歩いたことをきっかけに「“キャッチボールをしよう”と言い始めた。それまでは、こっちが言っても“ゲームやるから”だったのに」と藤田は振り返る。豊田大谷戦も理解しているといい「“俺が投げてもボークはせん”と言っている」と笑った。

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2018年5月23日のニュース