【独占手記】阪神・西岡 一時は引退決意…続けたいと思えたみんなの“言葉”

[ 2017年7月18日 12:00 ]

セ・リーグ   阪神2―1広島 ( 2017年7月17日    甲子園 )

<神・広>5回無死、西岡は中前打を放つ
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 阪神・西岡剛内野手(32)が17日の広島戦(甲子園)で362日ぶりに戻ってきた。昨年7月20日の巨人戦での左アキレス腱断裂から復活し、「1番・一塁」で出場。5回には中前打を放って復帰戦を飾り、スポニチ本紙に独占手記を寄せた。

 あの日から1年…。実は野球を辞めることを決めていました。16年7月20日の巨人戦。あの時、一塁へ向かって走っている途中、異変を感じた瞬間に不思議とアキレス腱が切れたと分かりました。グラウンドに倒れ込んだ時、僕はこういう終わり方で、もうここに戻ってくることはないと思いました。

 それまでもケガばっかりで精神的にもキツかったんです。以前から“いつ辞めようかな”“どうやって最後は辞めようかな”と考えていたんです。一塁で担架を待っていた数分の間にプロ野球の世界に入ってからのことが自然とフラッシュバックしたんです。

 病院に運ばれた時には何故か、すがすがしい気持ちになったことを思い出します。苦しいとか悔しいという感情よりも正直、ホッとした気持ちでした。落ち込むというよりも、“明日からはしんどい思いをしなくていい”というような気持ちでした。

 いま思えば逃げていました。自分の弱さとか、未熟さというものを痛感します。球団は翌日には手術ができる準備と用意を整えてくれていましたが、野球を辞めると決めていたので球団の方に手術はお断りしました。ただ、アキレス腱が切れてから1週間以内に手術をしなければいけないという現実がありました。その設定されたタイムリミットの中で少しずつ気持ちに変化が出てきました。

 一度は辞めると決めながらも、続けるという気持ちに変わっていったのはファンの方の言葉であったり、家族や身近の人たちの“復帰はできなくても悔いのない野球人生にしてほしい。そういう野球人生の最後を迎えてほしい。だから復帰までの過程だけでもやってみたらどうだ”という言葉があったからです。手術日は7月26日。ケガをした20日からの数日間で「続ける」と本当の決断をしました。

 入院先は大阪府内の大きな病院。手術後は車いす生活でした。アキレス腱を切っただけなので体は元気でした。時間もあるので車いすで病院の中を回っていて、病院の中では「西岡だ」と気づかれることもありました。

 左足は動かなくても少しずつ気持ちが“歩もう”と動き始めた頃でした。小学6年生ぐらいの子供から「サインを下さい」と声をかけられました。それをきっかけに会話するようになったんです。「小児病棟に入院している」と聞き、実際に病棟に行きました。

 すると、入院している子供たちの多くが重い病気と戦っていて…。歩くこともできない子供もいました。それなのに僕よりも前向きで、将来の夢を持っていて、そして明るく接してくれました。そのときに改めて感じました。アキレス腱は手術すればつながる、復活したプロ野球選手はいると。

 その子供たちに出会ったからこそです。僕には十分な可能性が残されているのに諦めていいのだろうか…と気づかせてくれました。

 やると自分自身に誓ってからは、今まで以上に野球への思いが強くなりました。ケガをする度に“なんで俺だけ不運が続くんだ”と思っていました。ただ今の僕は違います。ケガを防ぐための努力はしていたのか…と。捉え方が変わりました。

 復帰へのモチベーションも高い位置に置きました。過去にアキレス腱を切った方は、みんなスピードの部分を捨てたと思います。でも、僕は上を目指そう、守備でも二塁から遊撃へ戻ろう…と。再び走れる選手になろう…と。過去に誰もやっていないことというか。その先が見えない目標だけに向かって長いリハビリを続けてきました。

 この日を迎えるまでには1年間も時間をかけさせて頂きました。球団やファンの方が待っててくれたことが、すごくありがたかったです。これまでは中途半端なところで気持ちがつながっていました。“辞めたいけど、辞められない”と思って続けていました。ただ、今回はアキレス腱と一緒に心まで一度は完全に切れました。だからこそメンタルの部分でも“大手術”ができました。この1年間で心もしっかりつなげることができました。

 本当に多くの方々のおかげで今があります。感謝の言葉以外、見つかりません。今だから言えることですが、しっかりとトレーニングをして、しっかり向き合えばアキレス腱が切れたぐらいで選手生命は絶たれないと思えるようになりました。もしもアキレス腱が切れずにプレーを続けていたら、そちらの方が選手寿命は短かったと思います。切れたおかげで選手寿命が延びたと思います。

 だからこそ、やれるところまでやります。とことんやってやろうと!今後ちょっとしたケガをしても辞めようとはならないでしょう。もし次に骨折したとしても、万が一、右のアキレス腱が切れてもトライします。もう一度、西岡剛を見ていてください。(阪神タイガース内野手)

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