野球場にときめくのはなぜだろう。

[ 2016年9月16日 11:30 ]

阪神キャンプ中に散歩で見つけた沖縄・宜野座村の海が見えるグラウンド

 【内田雅也の広角追球】たとえば、新幹線で東京に向かうとする。数分すると、右手に「関西大学北陽高校」の看板が掲げられたグラウンドが現れる。かつてはもう少し新大阪駅寄りだったが、変わらず車窓から望める。四方をネットに囲まれた街中の野球場だ。

 その後は左手に瀬田工、西濃運輸、愛知啓成……とグラウンドが見え、名古屋を過ぎると、あの1973年のV9巨人の選手たちが見たようにナゴヤ球場(当時中日球場)がのぞける。

 いや、そんなに有名でなくても構わない。JRだと淀川河川敷、阪神電車だと大物駅近くの公園、南海電車だと助松公園……などお気に入りのグラウンドがある。電車でなくても車の運転中や散歩中に野球場が現れると思わず見入ってしまう。

 無人だと「こんな所でプレーできたら気持ちいいだろうな」とうらやましくなる。試合をしていれば、外角低めの投球に「おっ、いい球放るなあ」、三塁線へのファウルに「ちょっと力んだな」と観戦気分になる。

 似たような感情を作家、伊集院静が書いている。自宅のある仙台から電車(東北新幹線だろうか)で上京する際、海側の窓辺に座る理由を<野球場である>と明かしている=『許す力』(講談社)。<それもいくつかの中学校か高校の野球場を見るのが愉(たの)しみなのだ>。

 そして<おう、今から練習か><がんばれよ>と胸の中でつぶやく。夕暮れ時、少年が壁にボールを投げている光景に<学校に上がったら、野球部に入るんだぞ――そう声をかけたくなる>。野球、野球で過ごした自身の少年時代を懐かしんでいるのだという。

 同じことを江夏豊さんも話していた。「街中で野球をしている光景に出くわすと、ついつい見てしまうよな。見とれているのかもしれん」

 何も野球経験者に限らない。小川洋子の小説『博士の愛した数式』(新潮社)に母子が博士を野球場に連れ出すシーンがある。1992年6月2日、広島―阪神戦とあり、岡山県営野球場と分かる。<階段を上り切った瞬間、私たちは同時に声を上げた>。黒土、白線、芝生……の美しさを描き、<カクテル光線を浴びた球場は天から舞い降りてきた宇宙船だった>。作者は実際に現場を訪れていたのだろう。本物の感激に満ちている。

 ときめきとも言える、あの感情は何だろう。野球場の魅力である。

 大切な要素に土や芝や風があろう。赤瀬川隼はその名も『野球の匂いと音がする』(筑摩書房)で1988年開場当時の東京ドームについて<野球につきもののはずの、自然の優しい、ときに気まぐれに暴れる風をなくし、土の匂いをなくした><無窮(むきゅう)の青空と白い雲と夜空をなくし(中略)場外ホームランをなくした>と嘆いている。

 25年ぶりのリーグ優勝を果たした広島はマツダスタジアムの設計でドーム化を避け、土と天然芝にこだわったそうだ。新幹線の車窓から場内がのぞける。逆に観客席からも新幹線が見える、場外のビルや山が見える。自然や街との融合をはかっている。あのファンも選手も快適な野球場が快進撃を後押ししていたのは間違いない。

 ベースボールを「野球」と名付けたのは旧制一高野球部の中馬庚(かのえ)である。何とも名訳ではないか。

 一高で中馬の1年先輩、正岡子規が詠んだ「春風や まりを投げたき 草の原」や「草茂み ベースボールの 道白し」は、野原で白球を追う、野球の原風景が浮かんでくる。

 野球好きは今日も野球場を求めている。どこかで出くわす土や草や匂いにときめいている。(編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 1963年2月、和歌山市生まれ。小学校卒業文集『21世紀のぼくたち』で「野球の記者をしている」と書いた。桐蔭高(旧制和歌山中)時代は怪腕。慶大卒。85年入社以来、野球担当一筋。大阪紙面のコラム『内田雅也の追球』は10年目。昨年12月、高校野球100年を記念した第1回大会再現で念願の甲子園登板を果たした。

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