田中 京大初のプロ!一流商社内定蹴り決意「使命感持って」

[ 2014年10月24日 05:30 ]

ロッテに2位で指名された京大・田中は正門の前でポーズ

 一流商社を断って、プロの世界に挑む――。「プロ野球ドラフト会議 Supported by リポビタンD」が23日、都内のホテルで行われ、最速149キロを誇る京大・田中英祐投手(22)がロッテから2位指名された。東大からは過去5人がプロの門を叩いたが、入団すれば京大から初のプロ野球選手誕生となる。工学部工業化学科に在籍する秀才右腕が新たな歴史を切り開く。

【ドラフト指名選手 田中英祐】

 おごそかな雰囲気が漂う特別な場所で、田中は晴れの会見に臨んだ。京都大学百周年時計台記念館。足を踏み入れたのは、同大関係者のノーベル賞受賞者が会見を行う場所だ。iPS細胞の開発で12年にノーベル医学・生理学賞を受賞した京大・山中伸弥教授(52)も講義などを行っている。

 「ノーベル賞は凄い凄い賞なのですが…。そこに並べるように、新たな道で頑張っていきたい」。京大出身のノーベル賞受賞者は日本人初の湯川秀樹氏(物理学)ら過去7人いるが、プロ野球選手は一人もいない。それも球界でも珍しい「理系男子」としてプロの門を叩く。

 「京大にもプロを目指して入っていない。(練習の)設備もない中でここまで来られた」。文武両道を貫いてきた右腕にとっては、プロは遠い世界だった。兵庫県内の中高一貫の進学校・白陵では公式戦1勝に終わった。塾、予備校などに頼らず猛勉強の末に現役で合格。友人に誘われて入部した時は1メートル80、65キロと細く、球速も130キロ台だった。

 それでも学業と両立させながら連日、午後10時まで体力トレーニングを行い、体幹を鍛えた。体重は約10キロ増え、球速は最速149キロを記録。2年春にはチームの連敗を60で止め、今年6月には大学日本代表候補にも選ばれた。今秋は28季連続の最下位。「野球部の歴史を変えたい」との目標は達成できなかったが、リーグ戦通算8勝は京大史上最多だ。

 在籍するのは工学部工業化学科。3年生からは実験が増え、研究に時間を割かなければならなくなった。田中が4月から所属する研究室で、分析化学の指導にあたる天野健一助教(30)は「欠点が一つもないような学生」と研究熱心な姿勢を高く評価する。3年生までに単位はほぼ取得。卒論のテーマは「SFA(表面力測定装置)における水和構造の逆計算理論」と、まさに京大生らしく難解だ。

 「技術的にまだ甘いところがあるので、まずそこを克服できたら。真っすぐ、変化球がどれくらい通用するか。長所、短所を把握したい」

 プロでの目標を聞かれると、研究課題に取り組むかのようなクレバーさものぞかせた。テレビカメラは14台。会見後は野球部の仲間に胴上げされ、喜びに浸った。

 実は一般商社の三井物産から内定をもらっていた。「ドラフトまで待ってもらってありがたかった」と会社側に感謝した田中は「成功できればいろんな方に勇気を与えられる。険しい道だけど、新しい道を切り開きたい。ある種の使命感を持ってやっていきたい」。ノーベル賞にも負けない輝きを――。新たな歴史をつくるべく、京大生右腕が第一歩を踏み出す。

 ▼ロッテ・伊東監督 話題性だけでの指名ではない。(西武に)入ってきたときの岸にそっくり。

 ▽京都大学 1869年(明2)に前身の「舎密局(せいみきょく)」が大阪に開校し、改称を重ねて1889年に京都へ移転。1897年に京都帝国大学が創設された。現在は理学部、文学部をはじめ10学部があり、学部・大学院の大部分は京都市左京区の吉田キャンパスにある。スポーツはアメリカンフットボール、男子ラクロスなどが盛ん。プロ野球関連では根来泰周元コミッショナーがOB。芸能界では俳優の辰巳琢郎、お笑いコンビ「ロザン」の宇治原史規らが卒業した。

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