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出会いはまるでラブソング 始まりプール…やがて海へとつながった

[ 2017年8月17日 07:13 ]

東日本大震災時の津波での無事だった大型船・隆正丸の前で                             
Photo By スポニチ

 【釣り宿おかみ賛】来年、創業50年を迎える千葉県飯岡・隆正丸の女将が芳野讓子さん(57)。当主で夫の忠司さん(52)と釣り船4隻、宿泊施設2棟を切り盛りしている。若き日の2人の出会いは、まるでラブソングの歌詞のようだった。(入江 千恵子)

 ?あの日、あの時、あの場所で…。1991年(平3)、夏の終わり。街中では、その年1番のヒット曲、小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」が流れていた頃、讓子さんにもその日は突然やってきた。

 水泳が好きで通っていたスポーツクラブで行われたトライアスロンチームの壮行会に、いつもプールサイドで見かける“あの人″の姿があった。

 1959年(昭34)11月、千葉県旭市で生まれた。漁師の父と手伝いをする母、2歳違いの妹と祖父母の6人家族で「みんなで協力して支え合う一家でした」と懐かしそうに振り返る。

 水泳部で泳ぐ楽しさを知った中学時代を経て、高校は銚子市内へ。釣り船の手伝いを始めたのもこの頃だった。だが知らない人に会うのが苦手で「仕事は泊まりのお客さんの布団敷きくらいかな」と笑みがこぼれた。

 経理専門学校を卒業後、飯岡港内にある漁業協同組合で経理補助の仕事をし、アフター5は市内にあるスポーツクラブのプールへ。そして友達に誘われて参加した壮行会。そこには鍛え上げた筋肉で引き締まった体形の忠司さんの姿があった。芝浦工業大学を卒業し、精密機械のエンジニアをしていた忠司さんはトライアスリート。初めて近くで見る忠司さんの穏やかな笑顔と包み込むような雰囲気に讓子さんの胸が高鳴る。

 「もっと知りたい、話してみたいと思って積極的に行きましたね」と思い出を話す。

 「ご飯食べに行きませんか?」と自ら声を掛けたのをきっかけに、2人の距離が縮まる。気付けば半年後に忠司さんからプロポーズ。「真面目で一生懸命な性格と価値観が合ったのが決め手でしたね」と忠司さんは少し顔を赤らめた。

 1992年(平4)5月、結婚。新婚旅行はトライアスロン大会が開催されていた新潟県佐渡島だった。忠司さんは選手として出場。新妻の声援に助けられてびわ湖大会への出場権を獲得する活躍ぶりだった。

 その後は釣り船一色の生活。釣りが初心者の忠司さんは、隆正丸の創業者で義父の隆さん(84)の船に乗り操船術を学んだ。「言葉ではなく、“見て体で覚えろ″という教え方でしたね」と振り返る。

 先代が小型船1隻から始めた釣り船は、結婚10年で大型船3隻を増やすほどに。朝3時半起床、午前・午後船を出し睡眠時間は4〜5時間。休日もシケの日以外は月1回の時期もあった。

 初代女将の故・千代子さんは固定電話に24時間付きっきりで、お客さんを“1人も逃さない″と仕事熱心な人だった。

 インタビュー中もひっきりなしにかかってくる電話。「今は、どこにいても出られるから便利ですよね」と話しながらも、譲子さんはすぐに対応する。唯一、お客さんとを結ぶ電話の大切さを先代から学んだ。

 現在は長女で若女将の育美さんと夫で船長の幹雄さん家族、隆さんと7人で暮らす。「あすは孫の煌聖(こうせい)が出る剣道の試合を見に行くの」と目を輝かせた。

 再び鳴る携帯音。「はい、隆正丸です」。今日も明るい声が響いた。

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