【落合×福本豊対談】世界の盗塁王も小学生時代は「一番ではなかった」足の速さは「3~5番」

[ 2024年4月15日 17:00 ]

対談後に記念撮影をする落合博満氏(左)と福本豊氏(撮影・大城 有生希)
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 現役時代に3冠王を3度獲得し、監督としては中日を4度のリーグ優勝に導いた落合博満氏(70)が15日、自身のYouTube「落合博満のオレ流チャンネル」を更新。大好評対談企画「博満の部屋」の第7回目として、当時世界記録だったプロ通算1065盗塁を誇る「世界の盗塁王」こと福本豊氏(76)をゲストに招いて対談を行った。

 番組冒頭、福本氏を呼び込んだ落合氏は「どうも、お久しぶりです」とあいさつ。福本氏が「何年ぶり?」と話すと、落合氏は「何十年ぶりです」と固く握手を交わした。福本氏は2人が最後に会った時として「最後、多分キャンプの時ちゃうかな。北谷のキャンプの時が最後かな」と落合氏が中日監督時代だったと振り返ると、落合氏も「だと思います」と笑った。

 2人がソファに座って対談が始まると、落合氏は「福本さんは何年生まれですか?」と質問。福本氏が「昭和22年」と答えると、落合氏は「6つ上ですね。6つしか変わらないっていうのはちょっと不思議な感じがするんですけどね。プロ野球界に入ってきて、オレが25の時に入ってるから、それまでプロ野球界で(福本氏が)活躍してるでしょ?だからもっと年上なのかなっていう感じがするんですよね」と印象を語った。

 大鉄高(現阪南大高)-松下電器(現パナソニック)を経て社会人3年目の1968年にドラフト7位で阪急(現オリックス)に入団した福本氏は「自分の場合ちょっと早かった。社会人から行って1年目からベンチに入れてもらって、2年目に先輩が故障で試合に使ってもろて。普通ならこんな早いこと試合に出るような選手と違ったんやけどね」と当時を振り返った。

 落合氏は「小さい時はどういう少年でした?」と質問。福本氏は「ちびっ子野球する言うたらおかしいけど、三角ベースで遊んでたいうかね。やることないから、テニスボールを投げてグーのまま手で打って遊んだ。バットなしで。人数少ないからね。9人で野球やれんし。三角ベースを5、6人でやっていた。ぐるぐる回って。あとはその辺に落ちている角材をバットの代わりにしたとか」と幼少期の思い出を明かした。

 落合氏は「小さい頃から足は速かったんですか?」と質問すると、福本氏は「速い部類には入ってたかな」と返答。「自分より速い人はたくさんおって、大体3番から5番までには入っていた。むちゃくちゃ速いか、どうのこうのはなかったですね」と意外にも一番ではなかったことを明かした。

 落合氏は「小学校の頃は野球部はありました?」と聞くと、福本氏は「なかった。小学校の時は野球してないね。チームとかなかったし。小学校の小さい時はチャンバラをやって遊んでた。チャンバラは流行ってたし、チャンバラごっこか探偵ごっとで隠れ合い、追いかけあいしたね」と振り返った。福本氏は「下手やから呼ばれてやろうとかなかったもん。自分がすることないから、中学行って何しようか。じゃあ野球しようか。みんな野球やったから。何も知らんままでやってた。ルールは分からへん。つかんで投げてアウトやなとか。そっからやから。細かいことは分からんまんまやりました」と周囲に合わせて中学から本格的に野球を始めたという。

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