【ジャンプ】銅メダル二階堂蓮が初めて弱音吐いた日 「辞めたい」母・美穂子さんとの電話が運命変えた

[ 2026年2月11日 08:00 ]

銅メダルを獲得して笑顔の二階堂蓮(AP)
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 ミラノ・コルティナ冬季五輪のノルディックスキー・ジャンプの男子個人ノーマルヒル(ヒルサイズHS=107メートル)が9日(日本時間10日)、プレダッツォ・ジャンプ競技場で行われた。初出場の二階堂蓮(24=日本ビール)が101メートル、106メートル50の266・0点で銅メダルを獲得した。

 二階堂が、母の美穂子さん(53)だけに弱音をこぼした日がある。W杯出場など世代の先頭を走りながら、実業団チームから声がかからなかった高3の秋。ジャンプを続けるならば大学進学しか選択肢は残っていない。しかし大学進学には乗り気になれなかった。そんな折に下川商の同級生の実業団所属が決まった。追い打ちをかけるかのように、自身は出場した札幌の大会で不本意な成績に終わった。

 美穂子さんは振り返る。「精神的に、だいぶ参っていたときだったと思うんです。私に電話がかかってきて、“(競技を)辞めたい。大会の結果も出せないんじゃ意味がない。大学も行きたくない”って」。普段からあまり感情を表に出さず、たとえ批判をされても言い返さずにぐっと黙ってこらえる性格。寮生活のため離れて暮らす遠方の母だけに初めて吐露できた本音だった。

 大学の入学金の支払い期限は2日後に迫っていた。1時間も2時間も、電話口でひたすら息子の思いを受け止め、美穂子さんは伝えた。「(大学に)行きたくないなら、行かなくていい。辞めたいって言うんだったら、それも仕方ない。でも、自分一人の力で今までやってきたわけじゃない。みんながいろいろな力を貸してくれたからできた。それを踏まえた上で決断しなさい。自分の人生だから、自分の好きなようにしなさい」――。

 母との会話で心を落ち着かせた二階堂は、東海大に進学して競技を続けることを決めた。以後も、コロナ禍で授業との両立が難しく大学を中退、田植えなどでアルバイトをしながらの無所属の生活が約1年間続いて引退寸前まで追い込まれるなど、紆余(うよ)曲折を経ながらたどり着いた初めての五輪。美穂子さんは明かす。「いろいろなメディアで“反骨心”って言われていますけど、本当に“見返してやる”という思いでやってきたんだろうなと思います」。

 訓読みでは「ハス」と読む蓮の名は、仏教好きだった美穂子さんの父・雄一さんが名付けた。ジャンプの世界へと誘い、一流選手へと育ててくれた父・学さん(59)が91年に出場した世界選手権の開催地と同じバルディフィエメで手にした、個人での悲願の銅メダル。数々の不遇をくぐり抜けた二階堂が、清廉な輝きを放った。(波多野 詩菜)

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