【ジャンプ】日本勢1号!丸山希、天国の母に贈る銅メダル「獲ったよって帰ったら報告したい」

[ 2026年2月9日 05:30 ]

ミラノ・コルティナ五輪 ノルディックスキー・ジャンプ女子個人ノーマルヒル ( 2026年2月7日    プレダッツォ・ジャンプ競技場 )

ミラノ・コルティナ五輪スキージャンプ女子個人ノーマルヒルの2回目の飛躍を終え、高梨沙羅(右)、伊藤有希(左)と抱き合う丸山希
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 ノルディックスキー・ジャンプ女子個人ノーマルヒル(ヒルサイズHS=107メートル)は7日、バルディフィエメのプレダッツォ・ジャンプ競技場で行われ、丸山希(27=北野建設)が97メートル、100メートルの261・8点で銅メダルを獲得した。今大会日本勢メダル1号。日本女子の表彰台は、18年平昌大会3位の高梨沙羅(29=クラレ)以来2人目となった。

 イタリアの夜空に右拳を突き上げた。幾多の試練を乗り越えつかんだ念願のメダル。丸山は、待ち受ける伊藤と高梨の胸に満面の笑みで飛び込んだ。こだまする大歓声が心地良い。夢にまで見たその光景は、気づけば涙でにじんでいた。

 「スキージャンプを続けてきて良かった。凄く時間もかかったけれど、このメダルを手にすることができて、一つの夢をかなえることができて幸せ」

 トップと飛距離換算約0・5メートル差で迎えた2回目。足裏全体に体重を乗せる感覚を研ぎ澄ませて助走路へ。飛び出しの瞬間、「いける」と確信した。メダルを確定させる100メートルの会心の飛躍。「緊張の中で自分のジャンプができたのは自信になる」と胸を張った。

 98年長野五輪の4カ月後、丸山は長野・野沢温泉村で生まれた。ジャンプとの出合いは小学1年生。クラブで同学年は男子2人だったが、大きな台に挑むとき、先頭を切るのは決まって丸山だった。中学まで指導した野沢温泉スキークラブの笹岡洋介さん(48)は「希が最初に行って、男子は怖がって後から付いていった」と懐かしむ。活発な少女だった。

 飯山高校、そして明大と順調に力をつけた。しかし試練が襲う。代表入りが有力視された22年北京五輪の約4カ月前、全日本選手権で着地の際に転倒。左膝前十字じん帯断裂の大ケガだった。ただ、心は折れなかった。直後に恩師に送ったのは「絶対に復活します」の一文。リハビリは歩くところから始まり、突然左膝の力が抜けて体が崩れ落ちたことも一度ではない。ジャンプ台に戻れば、今度は恐怖心との闘い。それでも飛ぶことを諦めなかった。

 支えは、高校3年生の時に亡くなった母・信子さんの言葉だった。「何かで一番になりなさい」。折に触れてかけられた言葉だ。初のW杯出場のため札幌にいた時に容体が急変。駆けつけたが、翌日には札幌に戻り、葬儀には出られなかった。「自分でつかんだチャンスを変えられないことに使うんじゃない」。そんな母の思いがあったからだった。

 天国の母が、夢を追い続ける原動力になった。「見ていてくれたらうれしい。獲ったよって帰ったら報告したい」。そう言って、胸に光るメダルを静かに見つめた。

 《「足の裏のバランス」で急成長》明大時代から丸山を指導してきた北野建設・横川朝治監督(59)は、「何をやらせてもバランスが良いのが強み」と明かす。ケガで北京五輪出場を逃した後の練習で、誰よりも早くジャンプ台に上がって飛び始める姿があった。そして今季、初優勝から6勝と躍進。横川監督がその主因に挙げたのが「足の裏のバランス」だ。昨季から助走時に足裏全体に体重を乗せる意識を持つことに取り組み、重心が安定。助走姿勢も約5センチ低くなり、飛距離につながった。

 【丸山希アラカルト】
 ☆生年月日 1998年(平10)6月2日生まれ、長野県野沢温泉村出身の27歳。
 ☆サイズ 1メートル61。
 ☆経歴 小4で本格的に競技を始める。長野・飯山高、明大を経て北野建設に所属。
 ☆たった一人の女子部員 明大スキー部入部時、女子部員は丸山一人だった。寮に入れないため、近隣のアパートで1人暮らし。朝体操が行われる7時には毎日寮に向かい、1年時には料理や掃除の当番をこなした。
 ☆座禅 4年前から取り入れており、約3カ月に1回ほどのペースでお寺に出向く。飛躍直前に気持ちが落ち着かないときは息を吐ききって集中する。
 ☆性格 負けず嫌いで飽き性。
 ☆趣味 ジャンプ以外の趣味がないため、作山憲斗コーチから見つけるよう言われる。今年初めて遠征にゲーム機を持参も、ハマらず売却予定。
 ☆野沢菜 郷土料理の好みは、漬かりすぎていない「あっさり系」。地元では家庭によって味つけが違うという。
 ☆座右の銘 そこにとらわれないよう、あえて作らない。

 

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